《11月19日の「天声人語」に、米国の政治学者である、ヤシャ・モンク氏の話が出てくる。ポピュリズム(大衆迎合主義)の危険性を訴え続けているモンク氏は、来日時のシンポジウムで、「多くの国を訪れましたが、ポピュリズムの台頭が見られない国に来たのは初めてです」と述べたという。
続いて筆者は「トランプ大統領の米国、欧州連合離脱に揺れる英国のほか、ハンガリーやブラジルなどでもポピュリズムが広がる。そんな潮流から日本は幸いにも免れている。欧米の専門家からよく聞く指摘である」と書いている。日本がポピュリズム国家でないことは、世界的に見て、専門家の基本認識であるわけである》(酒井信彦「【朝日新聞研究】米政治学者『日本にポピュリズムは見られない』断言に朝日は不愉快!? どうしても安倍政権を「大衆迎合主義」にしたい天声人語」:12月4日付zakzak)
やれ「桜を見る会」だ、やれ「森友・加計」だと反安倍陣営は日本の大衆を焚き付けようと躍起であるが、扇動が余りにも稚拙だからか、大衆が賢明だからか、大衆が野党やマスコミの反安倍画策に呼応する気配はない。
《モンク氏があげる「大衆の情緒を利用する」ポピュリズムの政治手法、つまり反対勢力は悪だとし、司法をないがしろにしてメディアを敵視し、少数者の権利を無視する-といった手法が、安倍晋三首相にも同じように見られるといい、違いがあっても、「あくまでも程度問題ではないか」と主張する》(同)
天声人語子曰く、
「モンクさんの言葉は半分正しく、半分間違っている気がする」
「第2次(安倍)政権の7年は非ポピュリズムというより、半ポピュリズムとでもいうべき時期だったか」
モンク氏は日本に<ポピュリズムの台頭が見られない>と言っているのであって、ポピュリズムが見られないとは言ってない。だからモンク氏は間違っていない。
間違っているのは天声人語子の方である。日本においてポピュリズムの兆候が見られるのは、安倍政権ではなく野党とマスコミの方である。酒井氏は言う。
《現在の日本は半ポピュリズムどころか、全ポピュリズムの時代であると言わざるを得ない。
ただし、それは諸外国のような、政治権力者によるポピュリズムではない。日本型ポピュリズムを先導あるいは扇動しているのは、明白にメディア権力である。すなわち「メディア・ポピュリズム」というべきものである》(同)
ポピュリズムをどのように定義するのかという問題もあるが、欧米に台頭しているポピュリズムはリベラリズムの反動と言うべきものであろう。そしてポピュリズムとリベラリズムがどう折り合いを付けるのかということが問われているのだと思われる。
戦後日本は戦前までの価値観を否定し欧米的価値観を輸入したのであったが、それが日本の風土に根付かなかったがために、リベラルを標榜する連中がポピュリズムという陥穽(かんせい)に落ち込んでしまったということなのではないか。