保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

風化する太平洋戦争(1) ~歪められた日米開戦前の歴史~

過日128日は大東亜・太平洋戦争開戦の日であった。が、各紙社説はこのことをもはや取り上げもしない。

 社説ではないが次のような記事を見掛けた。

《日本と米英の経済力の差について陸軍で報告がなされた。戦争となればわが方はもって2年、それ以上は耐えられません-と。開戦の半年前、1941(昭和16)年6月のことだという◆その場面を、昭和史に詳しい半藤一利さんが著書のなかで再現している。陸軍の首脳は「わかった」と言いながら、続けた。その調査は完璧だろう、「しかし、結論は国策に反する。報告書は直ちに焼却せよ」◆不都合なことは、文書ともども消し去ってしまう。いまもどこかで聞く話だな…という嫌みはさておくとして、恐らく似たような話はほかにいくつもあったのだろう。かくて日本は破局への道をひた走っていく》(128日付神戸新聞「正平調」)

 <国策>とは何だろう。開戦半年前の6月時点で日本は日米開戦に突き進むなどという<国策>はなかった。

 半藤氏は

《対米戦争に踏みきる決意を固めることになった決定的な時点は622日》(半藤一利B面昭和史1926-1945』(平凡社ライブラリー)、p.392

と言う。

《注目すべき事実がある。陸軍主計中佐秋丸次朗を中心とする戦時経済研究班の、秘密裡に行われていた各国経済力の分析報告である。秋丸がその報告を陸軍中央部の首脳に説明したのも、この22日前後のことであったという。

 このとき、秋丸中佐は塵一つの誤魔化しをすることもなくいった。

 「対米英戦となった場合、経済戦力の比は201程度と判断されます。開戦後、最長にして2年間は貯備戦力によって抗戦は何とか可能ですが、それ以後は、わが経済戦力はもはや耐えることができません」

 聞いていた参謀総長杉山元大将は感想を述べるかのように淡々といった。

 「わかった。調査および推論は完璧なものと思う。しかし、結論は国策に反する。ゆえに、この報告書はただちに焼却せよ」》(同)

 つまり<国策>と言っても、それは杉山参謀総長が考えるところの<国策>に過ぎない。

《東条も杉山も、日本の国力が長期戦には耐えられないことがわかっていた。日中戦争はじまっていらいの対中国戦費はすでに280億円を超えている。ちなみに日露戦争20億円。戦死者もこれまでに30万人を超えている。ちなみに日露戦争10万人であった。そんな数字は十分に承知しているのである。しかも、「持てる国」を敵とする対米英戦争は長期戦となる、そのことも明白である。

でありながら、72日の御前会議で、海軍の対米強硬派の連中のいうがままに、南部仏印進駐を決定するのである。もちろん、いろいろな議論のあるところであるが、少なくとも最終的に対米英戦争を決定づけたときとして南部仏印進駐があげられることは間違いない》(同、pp. 392-393

 南部仏印進駐が<対米英戦争を決定づけた>などというのはまったくの嘘宣伝である。実際、96日の御前会議では、

(1)日本は「自存自衛」を全うするためにイギリス及びアメリカとの戦争を辞さない覚悟で、10月末を目処として戦争準備を終えること、

(2)戦争準備と並行して対アメリカ交渉を続けること、

(3)10月上旬頃までに日本の要求が通らない場合は、直ちにアメリカ(及びイギリス・オランダ)に対する開戦を決意すること

https://www.jacar.go.jp/nichibei/popup/pop_19.html

が確認されている。【続】