保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

ローマ教皇を政治利用する政教分離論者(1) ~言うは易く行うは難し~

日頃、靖国神社参拝の問題となると「政教分離」をうるさく言う人達が、核廃絶に関してはローマ教皇を政治利用する。まさに「二重基準」(double standard)である。

《13億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇が長崎と広島を訪れ、核兵器廃絶を訴えた》(1125日付朝日新聞社説)

「人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります」(1124日長崎でのスピーチ)

 「言うは易く行うは難し」(It’s easier said than done)。今更ローマ教皇に仰っていただかなくとも、毎年長崎では同様の科白を市長が述べることが恒例行事となっている。何のためにローマ教皇長崎市長の科白を上書きする必要があるのだろうか。

 それにしてもどうしてわざわざ長崎まで来て「犬の遠吠え」のようなことをするのだろう。このようなことは米国やロシアなどの核保有国で言っていただけないだろうか。

「軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です」

 言葉の選択の粗雑さが目立つ。所謂(いわゆる)「軍拡競争」は冷戦期の問題であって、それはソ連邦の解体で幕を閉じた。そして冷戦後の今問題となっているのは「核の拡散」である。北朝鮮やイランが核保有国となるかどうかが喫緊の問題である。

 勿論、軍事ケインズ主義よろしく、武器の商人かと見紛(まが)うような国家群があり、武器を売りつけるために世界各地に戦争や紛争の種を蒔き続けている節もある。が、それを<テロ行為>と呼ぶのは正しいとは思えない。

 「テロル」とは何かをここで定義するのは私の手に余るけれども、現代用法的には、国家という責任主体を持たず、主として匿名的なものたちが政治的アピールを行うために爆発物を用いたり要人を拉致殺害などして「恐怖」を与えることである。つまり、責任を追及できないのが<テロ行為>の特徴であろう。【続】