保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(26)北海道社説その4

 日米同盟を強化して防衛力増強を図るのではなく、粘り強く安定を模索する外交に活路を見いだすべきである。(北海道社説)

 <安定を模索する外交>って何だ。こんなもの社説子の只の妄想である。

軍備膨張と際限のない軍拡競争を招いた反省から、戦後は防衛費への国債発行を封じてきたのではなかったのか。軍拡は諸外国の警戒心を刺激し、外交による解決を困難にするだけである。(同)

 日本は<際限のない軍拡競争>などしていない。だったら「ワシントン海軍軍縮会議」とは何だったのか。また、<軍備膨張と際限のない軍拡競争を招いた反省から、戦後は防衛費への国債発行を封じてきた>などというのも「妄想」である。防衛費を抑えてきたのは、日本が米国への報復力を有(も)つことを怖れた米国の圧力であろう。

 独立国である限り、自国を守る防衛力を有つことは当然の権利である。戦前の反省から、自国を守る足る十分な防衛力を有てないなどというのは自虐的に過ぎる。否、そもそも<戦前の反省>が間違っているのだ。

 東京裁判は、「裁判」と呼べるような正当性はなく、只の戦勝国の「私刑」(lynch)である。戦勝国は大東亜・太平洋戦争を日本の侵略とし、日本だけを一方的に、それも文明を放棄し「事後法」まで作って裁いたのである。

 が、米国は、東京をはじめとする大都市絨毯(じゅうたん)爆撃で無辜の民を焼き殺し、原爆投下というホロコーストという国際法違反の大罪を犯している。ソ連も一方的に日ソ中立条約を破棄し、8月15日の終戦後も満洲や千島へと攻め込み、悪行暴虐の限りを尽くしている。また、戦後、捕虜をシベリアに抑留し、強制労働を課してもいる。言うまでもなく、国際法を守る気など端(はな)からない。

 本当に反省すべきは、米ソのような野蛮国をいかに文明によって抑制するのかということでなければならない。

 戦後日本は戦禍の反省に立ち、戦争放棄を掲げた憲法の下で国際平和を希求してきたはずだ。平和主義に基づく専守防衛の原則を堅持しなければならない。(同)

 <戦争放棄>は、米国への復讐を怖れたマッカーサーが、日本に押し付けたに過ぎない。サンフランシスコ講和条約によって、独立を回復した日本が、マッカーサーが押し付けた「占領統治法」と称すべき<戦争放棄を掲げた憲法>を未だに有(も)ち続けているのは、完全には「占領」が解除されていないということであり、日本は「半独立」状態にあるということだ。

 侵略や加害の歴史をありのままに知ることは戦争回避の原動力となる。人権など普遍的価値に基づく学びを深め、歴史を否定する試みにあらがう必要があろう。(同)

 敗戦後、78年も経ち、新たな証言や資料が次々と登場しているというのに、未だかの戦争を日本の「侵略」だと思い込んでいるお目出度い人達がいかに多いか。が、多くの人々が未だマスクを外せていないのを見れば、然(さ)も有りなんと思わざるを得ないのである。