保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(25)北海道社説その3

 岸田文雄政権は昨年末、日米同盟の強化や相手のミサイル拠点などをたたく敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を明記した「国家安全保障戦略」などの安保関連3文書を閣議決定した。

 ひとたび戦端が開かれたら双方の犠牲は避けられず、国民生活をも破壊することは、膠着(こうちゃく)状態のウクライナ情勢からも明らかだ。

 力に訴えるだけでは平和を実現することは困難である。それが、日本だけで310万人、アジア地域で2千万人もの犠牲者を出した先の大戦の教訓ではなかったか。

 歴史は過去の失敗に学び、過ちを繰り返さないためにある。終戦から78年。悲惨な敗戦を直視し、改めて非戦を誓う機会としたい。(北海道社説)

 <力に訴えるだけでは平和を実現することは困難である>。どうしてこんなことが「教訓」に成り得ようか。力に訴えるだけで平和が実現できるなどと主張している人などどこにもいない。そんなことは誰もが分かっている。

 <歴史は過去の失敗に学び、過ちを繰り返さないためにある>などと一丁前のことを社説子は言う。が、先の大戦で日本は力に訴えて平和を実現しようとしたわけではない。なのに、<力に訴えるだけでは平和を実現することは困難である>ということが先の大戦の教訓だ、などと頓珍漢(とんちんかん)なことを言う社説子が口にする「歴史」という言葉は、余りにも空虚である。

 自民党麻生太郎副総裁が台湾有事を念頭に日台米の「戦う覚悟」を強調した。核抑止への依存など、力の盲信が正確な情勢分析を阻害し、判断を誤らせることを先の大戦から学ぶべきだろう。(同)

 先の大戦で日本が力を盲信したために情勢分析を正確に行えず、判断を誤らせたかのように言うが、それは社説子の只の「妄想」である。むしろ、国力は圧倒的に米国に劣るということを承知の上で、戦うか白旗を上げるかの選択において、一矢(いっし)たりとも報いて、少しでもよい条件で講和に持ち込もうとしたのが実情であった。

 日本近現代史が専門の山田朗明治大学教授は「戦前の日英同盟、日独伊防共協定は日本を大陸侵略や無謀な開戦へと向かわせた」と述べ、軍事同盟に伴う軍拡路線の危険性を指摘する。(同)

 「戦前の日英同盟、日独伊防共協定は日本を大陸侵略や無謀な開戦へと向かわせた」もまた珍説である。

 日英同盟あって日本は日露戦争に勝利し、朝鮮を植民地とすることが出来た、つまり、日英同盟が日本に大陸を侵略を後押しした、という理屈なのであろう。

 日独伊防共協定に至っては、これを大東亜・太平洋戦争の開戦理由とする歴史研究を私は知らない。事実、防共協定は、ドイツが抜け駆けして、独ソ不可侵条約を結んだため空文化してしまっている。三国同盟を問題視するのならともかく、防共協定などただの歴史の通過点に過ぎない。