保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(9)読売社説

 戦後の日本は、日米同盟と国連中心主義を外交・安全保障の基軸とし、平和国家としての道を歩んできた。(読売社説「終戦の日 ウクライナが示す平和の尊さ」)

 が、<国連中心主義を外交・安全保障の基軸>としたなど「妄想」も甚だしい。そもそも<国連中心主義>って何だ。否、<国連>って何なのだ。

 <国連>は、United Nationsの誤訳である。普通に訳せば「連合国」であって「国際連合」(国連)のような訳語には到底成り得ない。つまり、<国連>と訳している時点で印象操作が行われているということだ。UNは、第2次大戦の戦勝国主導の体制である。具体的には、米英仏露中5カ国による安全保障理事会が主導する体制である。ちなみに、日本は未だにUN憲章上は「敵国」扱いになっている。日本は、米国に次いで2番目に分担金が多い国でありながら、意見することが出来ないという不当な扱いを受け続けている。

 もし、UN中心主義というのなら、戦後日本は、戦勝国の言うことに平伏(ひれふ)し続けて来たということに他ならない。つまり、戦勝国に隷従して来たから戦後日本の平和があったと言っているわけだが、こんなことを言って恥ずかしくはないのだろうか。

現在の平和と繁栄は、安定した国際環境にも恵まれ、その選択が正しかったことを示している。(同)

 戦後日本が「平和」であり続けたのは、<日米同盟と国連中心主義を外交・安全保障の基軸>とする選択が正しかったからだと言うのは単なる自己正当化である。<日米同盟と国連中心主義>以外の平和も有り得たわけであるし、日米同盟が平和維持に少なからず貢献したことは事実であろうが、あったのかどうかすらも分からない<国連中心主義>のようなものが、戦後の平和にどのように関わったのか教えて欲しいものである。

日本を取り巻く安保環境は、かつてなく厳しい時代を迎えた。最大の脅威である中国は、南シナ海沖縄県尖閣諸島周辺で一方的な現状変更を試みている。武力による台湾統一を辞さない姿勢も崩していない。

 北朝鮮はミサイル発射を繰り返し、ロシアは不法占拠する北方領土で軍事演習を続けている。

 こうした脅威に対処するには、平和を唱えるだけでなく、相手に侵略や攻撃を思いとどまらせるような抑止力や反撃能力を持つことが不可欠である。(同)

 この1文が意味するのは、<平和を唱える>ことも必要だが、抑止力や反撃能力をもつことも必要だということだ。いつから読売新聞は、日本が平和であるために平和を唱えることが必要だという「平和教」の立場になったのか。

 <抑止力や反撃能力を持つこと>自体を批判したいわけではないが、そのことを自明のこととして、どうして<抑止力や反撃能力を持つこと>が不可欠なのかを丁寧に説明し、国民の理解を得ることを怠れば、「力の均衡」による平和の構築が反転してしまって、むしろ武力衝突へと発展しかねない虞(おそれ)があるのではないだろうか。