保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(10)東京新聞その1

41(昭和16)年夏には既に敗戦は事実上、定まっていた、という見方もあります。

 その年の4月、政府は内閣総力戦研究所を本格始動します。猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』によれば、招集されたのは、いずれも30代の官僚や軍人、民間人ら30余人。よりすぐりのエリート集団が取り組んだのは「もし日米戦わば」の研究。出身組織のデータなどを用いて分析したのです。

 メンバーで「模擬内閣」をつくり、シミュレーションを行って出した結論は…実に「日本必敗」でした。緒戦は勝てるとしても、物量において米英に劣る日本に勝機なし。最終的にはソ連も参戦し、日本は敗れる。ゆえに、何としても日米開戦は避けるべき-。(東京新聞終戦の日に考える もっと、耳を澄ませて」)

 この話はしばしば繰り返されてきた(例えば、2020年8月15日付毎日新聞社説/2021年8月15日付日本経済新聞社説/2022年8月17日付読売オンラインWebコラム:「日本必敗」の警告はなぜ見過ごされたのか…終戦77年の夏に考える「総力戦」の危うさ)。日本は米国と戦っても勝てない。にもかかわらず、どうして対米戦に踏み切ったのか。日本の指導者が無鉄砲だったからという解答で満足してきたのが戦後日本の平和主義者であった。

 例によって、ここには、戦争に必要な相手の話が出てこない。だから、日本が蛮勇よろしく米国に戦争を吹っ掛けたという話にしかならないのである。

 が、対外的なものも含めて考えれば、太平洋戦争は、米英が日本を戦争へと追い込むことによって引き起こされたものであることが見えてくる。

 対独戦において戦況よろしくない英国は、米国の援軍を求めた。が、時のルーズベルト大統領は、欧州戦に参戦しないという「モンロー主義」を公約としていたため、参戦のための口実が必要であった。そのため、日本に真珠湾を攻撃させ、日本と三国同盟を結んでいるドイツと戦う理由としたわけである。

 ちなみに、ルーズベルトは、日本が真珠湾を攻撃することは事前に知っていた。が、日本に先制攻撃させなければ欧州参戦の口実が得られないので、これを迎え撃つことはしなかった。

 問題はここからである。日本が大戦争に打って出たのは石油を止められたからである。だから南方の石油を獲りに行ったのは分かるが、対米戦を行う必要はまったくない。大東亜戦争だけでも大変なのに、どうして同時に太平洋戦争にも踏み込んだのかが何とも不可解なのである。これでは、米国が欧州戦に参加できるよう手助けをしただけである。実際、本気で米国と矛(ほこ)を交えるなら、緒戦のハワイ奇襲において、途中で引き返すことなく、ハワイを制圧してしまうことが必要であったはずだ。そうすれば、米国本土が次の標的となることとなり、米国民の厭戦気分も高まり、早期講和の可能性もあっただろう。