保守論客の独り言

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8月15日「終戦記念日」社説を読む(15)京都社説その1

京都新聞は、2回に分けて終戦の日の社説を掲載している。

日本は今年、世界3位の軍事大国への道を歩み始めた。

 防衛費の「倍増」と、「反撃能力」の保有岸田文雄政権が昨年12月に閣議で決めた安全保障戦略の改定に盛り込んだ。先の国会では防衛財源の一部を確保する法が成立した。(8月13日付京都新聞社説「終戦の日に〈上〉「軍事大国」に突き進むのか」)

 社説子は、

国難ともいえる人口急減が進む中、身の丈を超えた「軍拡」ではないのか。それが私たちが望む国の形だろうか。(同)

と言う。例によって、ここには「相手」がいない。戦争(あるいは戦争に備える)には「相手」が想定されなければならないがそれがない。台湾有事、朝鮮半島有事は想定から外され、尖閣諸島に触手(しょくしゅ)を伸ばすシナ(China)、未だミサイルを撃ちまくっている北朝鮮にどう対峙(たいじ)するのかも不問に付されてしまっている。

 身の丈にあった軍事力を持つことは独立国としての当然のことであり、これまで、例えば、GDP1%枠を設けるなど抑制的に振る舞って来られたのは駐留米軍が睨みを利かせていたからである。が、「米軍に守られた平和」を憲法9条のお陰であると有り難がるのは「自己欺瞞(ぎまん)」でしかないし、他国の軍に守られて平然としておられるのは、独立国としての「矜持(きょうじ)」を喪失してしまっているからだろう。

 岸田氏は国会や記者会見で、中身を伏せた説明を「丁寧に」繰り返すだけで、歴史的な国防政策の大転換を図っている。

 防衛費倍増は、国内総生産(GDP)比2%とする欧州連合(EU)の基準を参考にしたという。(同)

 が、「検討使」よろしく、信念の欠片(かけら)も見られない岸田首相が、わざわざ「火中の栗を拾う」とは思われない。どう見ても、自らの意思のようには見えない。おそらくは、米国からの指示命令があったのだろう。

 安倍首相が築いてきた「日米の平衡」を岸田首相は崩してしまった。再び日本は米国に隷従することとなったのである。

日本のGDPなら米、中に続く巨費を軍事に投じ続けることになる。しかも5年間で総額43兆円とする財源は、予算の使い残しを見込むなど不安定にして、不透明極まりない。(同)

 問題は、「5年間で総額43兆円」という金額だけが独り歩きしていることである。数字先にありきで、後はそれをどう割り振るのかというような遣り方は余りにも不健全である。例えば、これまでやれてこなかった「情報戦」に対処するために、これだけのお金が新たに必要であるといった具体的な話があっての増額であれば説得的であるが、中身が不明のまま総額だけ提示されても納得しがたいということだ。

 他国のミサイル発射拠点などを破壊する反撃能力は、戦後の国是としてきた専守防衛を踏み越え、国際法違反の先制攻撃にさえなり得る。

 力に力で対抗していく先には、軍拡競争と衝突のリスクが高まる「抑止力」の危うい正体が見えないか。(同)

 <専守防衛>の考え方は、戦闘を日本本土に呼び込むこととなる。米軍のお陰で戦後日本は戦闘に巻き込まれることはなかった。だから、<専守防衛>などといった空論を弄(もてあそ)ぶことが出来ただけだ。