保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

最高裁大法廷が再び夫婦別姓を認めなかったことについて(3) ~日本独自を否定する勿れ~

《日本以外に夫婦同姓を義務づける国はないという。国連の女性差別撤廃委員会は繰り返し、是正を勧告している》(6月24日付毎日新聞社説)

《夫婦同姓を法律で義務付けた国は日本以外になく、国連の女性差別撤廃委員会から改正を繰り返し勧告されている》(6月24日付京都新聞社説)

《世界でも夫婦同姓を強制する国は日本以外に確認されていない。国連の女性差別撤廃委員会も「差別的」として改善を日本に繰り返し勧告しているのに、政府は無視を続けているのが実情である》(6月24日付信濃毎日新聞社説)

 日本独自のものには正当性がないという考えなのだろうか。この理屈では、日本という国も独自の存在であるから、日本が存在すること自体も否定されてしまいかねない。日本という国が目障りだと思っている人達はこのような理屈を用いてくるであろうから注意が必要だ。

 さらには、「世界市民主義」(cosmopolitanism)という立場もあるだろう。世界の共産主義化ということであるが、夫婦別姓もこの考え方と軌を一にしたものと思われる。が、20世紀、ソ連邦という壮大な共産主義の実験が大失敗に終わったにもかかわらず、日本にはそのことが受け入れられない人達が少なくない。

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社会主義共産主義の違いは何でしょうか。社会主義というのは現実にある制度、共産主義というのは将来の理想の社会と考えることができます。労働者がいくら働いてもそれに見合っただけの賃金がもらえず搾取されている、これが資本主義でしたね。それに対してマルクスレーニンの考え方では、社会主義になると労働に応じて正当な賃金がもらえるようになる、さらに共産主義になれば、生産力がさらに発展して必要に応じて好きなだけもらえるようになると考えます。

レーニンは、最終的にはトイレの便器は金でつくられることになるだろうと言っています。共産主義ではそれくらい人々が何でももらえて豊かな暮らしができるようになるということです。そうなると、国と国との争いごとはなくなってくるので、そもそも国家というものがなくなってくる。よく共産主義国家という言い方がされますが、あれは形容矛盾でおかしいんです。共産主義では国家は存在しないというのが建前なのです。

 社会主義国家、それから国家がなくなった共産主義というふうに考えると、共産主義というのはユートピアだということがわかりますね》(『池上彰のやさしい経済学』:​「派遣切りがきっかけとなった、マルクスの再評価」著者が解説~池上彰氏(42012/5/18​)

 話を社説に戻すと、これら社説子のみならず多くの日本人が、<国連>が中立の国際機関だと思っている節があるが、実際は第二次世界大戦戦勝国組織であり、連合国憲章において日本は未だ「敵国」状態にある。だから負担金はたんまり取られても発言権は無きに等しいのである。拒否権のある常任理事国・米英仏露中(P5)が戦後世界を恣(ほしいまま)にしてきた、それが実態なのである。

 日本はいつまで敗戦国の地位に甘んじ続けなければならないのか。夫婦同姓を法律で義務付けているのは日本独自の文化であり、卑下する必要など毛頭ない。勿論、このことによって、家族が不当に虐(しいた)げられているというようなことがあれば別であるが、日本の家族制度が他国に比してうまくいっていないなどという話はないし、むしろ他国よりもうまくいっているとさえ思われるのであってみれば、変更の必要などあるはずがないのである。【続】