保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

UN「国際女性デー」なる女性逆差別について(3) ~共産主義思想に塗れたUN~

FBI捜査官・クレーオン・スカウセン著『裸の共産主義者』(The naked Communist)に挙げられた、アメリカの共産党が1958年に掲げていた目標の1つに次のようなものがあった。

Promote the U.N. as the only hope for mankind. If its charter is rewritten, demand that it be set up as a one-world government with its own independent armed forces. (Some Communist leaders believe the world can be taken over as easily by the U.N. as by Moscow. Sometimes these two centers compete with each other as they are now doing in the Congo.)

(国連を人類の唯一の希望だと宣伝すること。国連憲章が書き換えられるとすれば、国連が独立した軍隊を持つ単一世界政府として設立されるよう要求すること。(中には、モスクワからではなく、国連からでも世界を掌握することは容易だと考えている共産主義者もいる。時としてこの2つのセンターは現在コンゴで起こっているように競合することもある)

 事程(ことほど)左様(さよう)に、UNは、マルクス・エンゲルス思想に塗(まみ)れた存在ではないかと疑われるのである。

母権制の転覆は、女性の世界史的な敗北であった。男性は家のなかでも舵をにぎり、女性は品位をけがされ、隷属させられて、男性の情慾の奴隷、子供を生むたんなる道具となった。とくに英雄時代の、そしてそれにもまして古典時代のギリシャ人のばあいに公然と示されているような、女性のこのいやしめられた地位は、しだいに美化され、つつみ隠されて、ところによってはやや緩和された形態をまとったりもしたが、しかしそれはけっして除去されてはいない。

 いまや樹立された男性の独裁の第一の結果は、この時期に姿を現わす家父長制という中間形態に示される》(エンゲルス『家族・私有財産・国家の起原』(岩波文庫)戸原四郎訳、pp. 75-76)

 が、このような歴史観は左翼的偏見に満ち溢れ、日本の歴史とは全く相容れない。

 戦時中外相も務めた重光葵(しげみつ・まもる)は次のような手記を残している。

《国家以上の国家を組織して世界の平和を維持し様とする企ては到底成功する事は出来ない。民族国家の国際的生存競争は今日の大国時代に於(おい)ては一層大仕掛になつて居る。

 更に又国家は個人の集合であるから個人を本位として考ふべきであると云ふ議論も多い。右は仏蘭西(フランス)革命によつて個人の自由解放が叫ばれて以来特に強調せられ〔て〕居る処で、経済学者の間には国境を撤して世界は個人を単位として総てを決定し考慮すべきであると唱えるものが多い。

 其の議論の極端なのが「カール・マルクス」の共産主義である。共産主義は結局個人性を重んずるの結果、国境を撤廃し世界を平等の権利を有(も)つ個人の社会となさんとするものである。

 然(しか)し、西洋で個人単位を正義として主張するものにして知らず知らずの中(うち)に自国の国際社会に於ける優越なる地位の不同を前提とした議論も少なくない。

 今日の国際生存競争の社会に於て敗者となりたる国家の国民が如何にみじめなものであるかと見るならば、民族国家の生存競争に優者たるによつて個人の生存も初めて全(まつた)きを得ることは明である。

 社会主義を奉ずる各国特に英国の労働者が何故に主戦論の急先鋒たるかは此所(ここ)に起因する。英帝国亡れば、労働者の社会的福祉は喪失せらるべきことを自覚して居るからである。

 個人を第一次的の単位とし家族を第二次の単位とし国家を最高にして最終の単位とすべきは我国体の感〔観〕念である。それは人類共通の責務又は国際生活上の規律を度外視する意味でなく、自己を知り自己を尊重することによつて他を知り他を尊重すると云う意味である》(『重光葵手記』(中央公論社)「世界の暗雲」、pp. 72-73)​【了】​