「みんなが互いを理解しあって寛容な社会を作っていこうという方向性が自民党の元々の案だ。そこに『差別は許されない』という1文が入ると、法律の目指すところが『寛容な社会』とは意味がちょっと変わってくる。ある意味で、事実上の禁止規定になってくるから、さまざまな問題点が出てくるのではないか」(「『差別は許されない』はダメ? LGBT法案に揺れた自民党」:NHK政治マガジン2021年6月16日)
寛容な心で性的少数者を認めようという話が、『差別は許されない』などと言ってしまうと、逆に「不寛容」になってしまうということだ。
「LGBTの人も、そうでない人も、互いの違いを認めて、寛容な精神で受け入れるというバランスが大事だ。『こうでなければならない』という形で書いてしまうと、社会一般的には受け入れられない人のほうが多くなる。推進派の人は、法律を作ることに重点を置いてしまって、社会全体にもたらす影響というのが見えなくなっているんじゃないか」(同)
そもそも「寛容さ」を法律化し厳格化しようとしているところに矛盾がある。寛容でなければならないというのは「不寛容」そのものである。
「LGBTの人たちの中には、この法案を望んでおられる方ももちろんいるだろう。一方で『いらない』という方がいるのも事実で、もう少し冷静に、深く広く、掘り下げて考えるべきだ。LGBTの方の人権を守ろうという考えには皆、賛同している。元々の案で時間をかけて国会審議をすれば野党だって乗る。そういうやり方をすればいい」(同)
2つ疑問がある。1つは、どうしてLGBTだけ特別に人権が守られねばならないのかということである。LGBTをむしろ売りにしている芸能人も少なくなく、今でも相当程度市民権を得ていると思われるからである。もう1つは、課題の優先順位がおかしくはないかということである。数多(あまた)政治課題がある中で、どうしてLGBT問題を優先しているのかということだ。コロナ禍の自粛の煽りを喰っている飲食業をはじめとして、今すぐ救済しなければならない人達はたくさんいるに違いないのにである。
稲田女史は言う。
「保守というのは多様性に寛容であるべきで、偏狭な保守からは何も生まれない。傷ついて困っている人たちをどうしたら救えるかという視点を忘れた議論に終始するのはよくない。少数者、性的マイノリティーの皆さんの権利を守るというのも、保守政党である自民党の責任だ」(同)
「保守」という言葉の耳触りが良いからこのようなことを言うのであろうが、稲田女史の言っている「保守」は、謂わば戦前を否定する戦後体制を保守しようとするものだと言えるだろう。だから歴史や伝統が見向きもされず、左翼思想が持て囃(はや)されるのだ。
《LGBTの人たちを含め、多様性を認める社会の実現については論を待たない。
与野党を問わず政治に問われているのは、それをいかに実現させるかだ》(同)
さすが左翼マスコミの雄・NHKである。日本社会の安寧秩序は蚊帳の外のようである。【了】