《井上信治科学技術政策担当相は5日までに産経新聞の単独インタビューに応じ、日本学術会議に関し、在り方を見直して新たな組織となった後も「(人員や財源の確保に)一定の国の支援は当然だ」と述べ、完全民営化には否定的な認識を示した》(産経ニュース2020.12.5 18:22)
どうして<国の支援は当然>なのだろう。
《井上氏は学術会議について「国としてアカデミアの中心となる存在は必要」と述べ、学術会議側が希望する「ナショナル・アカデミーとしての権能維持」には賛意を示した》(同)
が、<国としてアカデミアの中心となる存在は必要>という考えは絶対的なものではない。大臣はその理由を考え述べる必要がある。
理由を考えれば、本当に必要かどうかが分かるだろう。赤く染まった<アカデミアの中心となる存在>など不要である、というかはっきり言って有害である。
どうして政治にうるさく口を出す団体に国がお墨付きを与えなければならないのか。政府に自由に口を挟みたいのであれば、政府機関を離れ、民間団体として運営すればよいだけの話である。
《井上氏は「アカデミアと政府が対立することは国民のためにも良くない」と述べた》(同)
アカデミアとは大学一般のことを言っているのか、学術会議のことを言っているのか不分明であるが、一旦学術会議だとして言えば、学術会議と政府がもたれ合う必要はないし、かといって逆にいがみ合う必要もない。良い意味で刺激を与えあえばよいのであって、今回の人事程度のことで<対立>するというのであれば、政府が抱えておく必要はない。
勿論、人事は最大の問題であり、<今回の人事程度のことで>などと言うことが間違っているというご指摘もあるのかもしれないが、であればなおさら学術会議は政府の配下から離れるべきではないか。そんなに資金援助が欲しいのか。それとも国のお墨付きが欲しいのか。
《研究成果が民生と軍事の両面で使われる「デュアルユース」(軍民両用)に関し、学術会議が昭和24年の設立から一貫して軍事研究に否定的な立場であることを念頭に「時代の流れでなかなか(軍事用と民生用の研究を)単純に切り分けるのが難しい。まずは学術会議に考えてほしい」と述べた》(同)
これも日本の軍事研究に否定的なだけで、シナの軍事研究に携わっている人物が存在すると疑われてもいる。
それよりも「もろ軍事研究」というのでなければ、非軍事を理由に科学技術的研究を拒否するのはもはやアカデミアに相応しいかどうかさえ疑問である。
また、<まずは学術会議に考えてほしい>などと責任を押し付けるのも疑問である。
《改革後の組織のあり方については「民間か独立行政法人か国の行政機関かということが先ではなく、まず権能ありきだ」と述べるにとどめた》(同)
民間には民間の権能があり、独法には独法としての権能があり、国の行政機関であれば、国の行政機関に相応しい権能があるとも考えられる。つまり、権能は所属と込みで考えるべきものであって、<まず権能ありきだ>などという話ではないだろうということである。
井上大臣の考えに私はまったく賛同しかねる。