保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

『テラスハウス』とSNS(3) ~最初が肝心~

何が問題なのかを最初に掴(つか)み損なっては出る答えも出せない。「最初が肝心」なのである。女子プロレスラー木村花さんが自殺(?)したのはSNSで誹謗中傷を受けたからだと考えるのは余りにも短絡的である。それどころか、本質から目を背ける行為だと思われる。

 実は海外の同様の番組でも同様の事件が起こっているらしい。国際ジャーナリストの山田敏弘氏は言う。

「海外では以前から、リアリティー番組出演者の自殺が問題になっています。イギリスでは2016年から2019年にかけて、『ラブアイランド』という恋愛リアリティー番組から3人もの自殺者を出しています。韓国でも同様の番組で、実際とは異なる“友達のいないかわいそうな子”という設定を制作側から押しつけられた女性が、2014年に撮影現場で命を絶っています」(『NEWSポストセブン』5/27(水) 16:00配信)

 だとすれば、<恋愛リアリティ―番組>そのものが精神の平衡を失わせ、人を追い詰める類のものなのではないかと疑われるのである。今回の事件で、『テラスハウス』の制作と放映中止が発表されてはいるが、しっかりとした反省がなければ、視聴率至上主義でSNSを用い炎上させ話題化を図る同種の事件が再発しないとも限らない。

 おまけに各紙社説も規制を強化することから「逃げ腰」である。

《民主主義社会では言論の自由が保障されており、SNS上での他者への批判投稿を完全に排除することは難しい。だからといって度を越した中傷や差別を野放しにすることは許されない。加害者の多くは相手のダメージへの配慮が欠けている。安易な意識での投稿が悲劇の温床となっている。

 一方、SNSを通じて社会の不公正や権力の横暴が明るみに出るケースもある。発信者の情報開示が政権批判や社会を正す動きを封じることになってはならない。ルールを改正するなら、どういった場合に投稿者の情報開示を簡略化できるのか議論を尽くすべきだ》(5月29日付東京新聞社説)

 <度を越した中傷や差別を野放しにすることは許されない>が、自由が規制されて<政権批判や社会を正す動きを封じることになってはならない>、などと明らかに腰が引けた状態で何を言っても無効である。

 <投稿者の情報開示を簡略化>することでさえ、<どういった場合に>と断っているのもまったく積極性が感じられない。

 前出の女優・小川紗良さんがなかなか良い文章を書いている。

《リアリティが追求されて然るべきエンタメの世界で、リアリティとどう向き合い、扱っていくべきなのか。

まずは作り手側が、エンタメにおいてリアリティを追求することの危険性を自覚することだと思う。これは恋リア番組を打ち切りにして解決するような話ではなく、ドラマにも映画にもバラエティにもドキュメンタリーにも、あらゆるエンタメに言えることだ。リアリティは面白い。リアリティは人を惹きつける。だからリアリティをもっと追求したい。しかしそれによって何か弊害があるならば、そこのケアまで怠らないことだ。私もいち作り手として、肝に銘じなければならない。

そしてもうひとつなくてはならないのが、見る側のリテラシーである。何度でも言うが、リアリティとはリアルらしきものでありリアルではない。恋リアもノンフィクションもドキュメンタリーも、全て作られた世界であり、嘘や演出があって当然である。リアリティを楽しむ・楽しまないは視聴者の自由だが、この前提だけは共通して認識しておくべきだと思う。リアリティとリアルを切り離して認識し、あくまでも娯楽の範疇で楽しむこと。動画配信やSNSで、よりリアル思考の高まる現代において、一人一人がこのスキルを持つことは必須である。

リアリティの幻想は、作り手と視聴者の共犯関係によって膨らんでいくものだ。どちらか一方が慎んだところで根本はなにも解決しない。娯楽として楽しむのも、肥大化して暴走するのも、こちらとあちら双方の努力次第だ》(『小川紗良の自由帳』 2020/05/28 08:52)【了】