保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

なぜ中学生は制服を着るのか

《福岡県の公立中1年のA君は「制服を着たくない」と悩み続けている》(西日本新聞 2020/5/30 11:00)

という。

《A君は全員が同じ服を着用することで個性が軽視され、大人たちが納得する「中学生らしさ」が押しつけられているように感じるという》(同)

 A君の言う<個性>って何なのか聞いてみたいところだが、私は、制服を着用することによって失われる個性など「薄っぺらな個性」でしかないと思う。もちろん、着る物によって<個性>を表現することも出来よう。が、親のすねかじりの<個性>など本当の<個性>ではない。

A君は小学校の慣習にも疑問を抱いてきた。学級全員が給食を食べ終わるまで待たないと昼休みに入れない。卒業式の練習が寒い体育館であってもコートの着用は認められない》(同)

 A君が<慣習>という言葉を使ったのかどうか分からないが、これらは<慣習>と呼ぶようなものなのかそもそも疑わしい。学校が集団教育の場である限り個人の行動は一定制限されるのは仕方のないことである。が、どう考えてもこれらは絶対的なものであるはずもなく、必要に応じて改善すればいいだけの話である。実際、

《いずれも、保護者を通じて学校に不満を伝え、改善されたという》(同)

のであるから、それでよいではないか。

《そもそも、なぜ制服が必要なのか。A君の通う中学と管轄する教育委員会に聞いた。私服での登校を禁じるほどの効力は校則にないとの解釈だが、校長は「良さが認められているから普及している」と説明する》(同)

 私にはA君を出汁(だし)にして記者の疑念をぶつけているように思われてしまうが、教育委員会や学校長の返答もお座なりに過ぎる。おそらく「事なかれ主義」なのであろうが、こういうことの積み重ねが子供たちの教育への失望へとつながっていくのだと思われる。

《世の中の認識はどうか。着る服に悩まなくてよい、公私のけじめがつくといった点に加え「私服よりも経済的で、服装による格差を生まない」という主張が目立った》(同)

 私も、<公私のけじめがつく>ということ、<服装による格差を生まない>ということが重要なのだろうと思う。同じ制服を着ていても生徒は同じではない。むしろその「同じ中の違い」こそが、学校において「学び育むべき個性」なのではないだろうか。

《制服は帰属意識を強くし、規律を守る意識が働くという考え方もあった。校則を緩めると学校が荒れ、学習どころではないという教師の懸念もあるだろうが、A君は、そんな考え方に疑問や「息苦しさ」を感じる。制服姿が苦痛という子どもがいる以上、学校は解決の手だてを講じるべきだ》(同)

 教師の懸念を慮(おもんぱか)られず、自分の感情に拘泥(こうでい)してしまうのは中学生としては仕方のないことだろうけれども、その子供の感情を利用して、<学校は解決の手だてを講じるべきだ>などと大人が自分の感情を重ね合わせるのは卑怯なやり方である。

 このようなことを言えば、勉強することが苦痛だ、学校に行くことが苦痛だ、というB君やC君も出て来るだろう。

 こういう無責任な記事を書くのはやめてもらいたいものである。