保守論客の独り言

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2審であっさり覆される裁判員裁判について(1) ~最高裁のおかしな理屈~

《平成24年6月、心斎橋の路上で通行人の男女2人を無差別に刺殺したとして、殺人罪に問われた被告の上告審判決で、最高裁は1審裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役とした2審大阪高裁の判断を支持した。裁判員裁判による死刑判決が2審で破棄された5件全てが無期懲役で確定することになる》(12月4日付産經新聞主張)

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 破棄にはそれなりの理由があることは分からないでもないが、一方で、だとすれば「裁判員裁判」とは何なのかという疑問が湧いてくる。

裁判員制度は国民の常識を刑事裁判に反映させることを目的に平成21年に導入された。1審の裁判員裁判の結論を上級審でも重視する「1審尊重」の流れが定着しているが、死刑だけは事情が異なる。第1小法廷は、究極の刑罰の慎重適用と、過去の事例との公平性の観点などを踏まえ、死刑回避の判断を維持した》(12月3日付産經ニュース)

 元東京高裁部総括判事の門野博弁護士は言う。

「死刑と無期懲役刑との間には大きな隔たりがある。過去の裁判例から見た公平性は非常に大事。法の安定感を考えた判断は裁判員にも理解してもらえると思う」(同)

 おそらく素人裁判員も玄人裁判官から説明を受け、そのことはしっかり重々承知の上で死刑という判断を下しているはずである。

 つまり話は逆なのだ。素人裁判員は<死刑と無期懲役刑との間には大きな隔たりがある>ことを分かった上で「死刑」を言い渡している。だから、裁判員制度を敷いている以上、過去の判例との公平性云々の理屈で玄人裁判官がこれを簡単に反故にする方が間違っていると言うべきである。

《刑期の長短が問題となる懲役刑と、執行すれば取り返しがつかない死刑は「質的に異なる刑」》(同)

などと言って素人裁判員の判断を否定するくらいなら、初めから死刑案件は裁判員裁判から外すべきである。

 犯罪被害者支援弁護士フォーラム事務局長の高橋正人弁護士は言う。

「裁判官が作った基準に従うなら裁判員裁判の意味がない」

裁判員裁判の判決を5年、10年と集積して(量刑の)基準ができ、それに従うのが裁判員制度の本当の趣旨だ」(同)

最高裁司法研修所は24年7月、過去の量刑判断を尊重するよう求める研究報告を示した。だが、甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「裁判官の量刑を押しつけるのであれば、市民の意見を反映させるという裁判員制度は実質的に意味がなくなり、形骸化する」と危惧する》(同)
 否、すでに<形骸化>してしまっている。【続】