保守論客の独り言

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裁判員制度10年(3) ~守秘義務に守られた制度~

裁判員裁判では当初、求刑より重い判決が相次いだ時期があり、最高裁も一審重視の立場を示していた。しかし最高裁は14年、従来の判例を前提とせずに判断する場合は「具体的で説得力ある根拠を示すべき」と軌道修正するような見解を示し、「求刑超え」の判決は減少した》(5月19日付京都新聞社説)

 素人に<具体的で説得力ある根拠>を示せとは無茶苦茶な要求である。職業裁判官が納得するような<具体的で説得力ある根拠>を素人が示せるわけがないから、要は<市民感覚>に司法が箍(たが)をはめたということである。

裁判員制度の意義について社会的な理解が進まなければ、司法に市民参加を求めるという制度の理念は形骸化するばかりだ》(同)

 <形骸化>どころではない。箍をはめられた市民感覚を反映させる裁判員裁判などどうして必要なのか。

裁判員制度は今なお多くの課題を抱えている。これからも不断の見直しが求められる》(同)

 が、どのような課題があるのかすら部分的にしか見えてこない。問題は「守秘義務」にある。

裁判員の経験が国民の間で共有されず、制度への理解が進んでいないとの指摘も根強い。裁判員に課せられる守秘義務が、貴重な体験を伝える際の障害になっていないか、検証が求められる》(5月19日付読売新聞社説)

 「守秘義務」のせいで、何が問題なのか、その全体像が見えない。このような中でどうやって見直しを行おうというのか、行えるというのか。

《対象となるのは最高刑が死刑か無期懲役禁錮に当たる罪と故意の犯罪行為で被害者を死亡させた罪で、当初は重大犯罪を一般の国民が裁くことを不安視する見方もあった。辞退率の増加や出席率の低下、裁判の長期化による裁判員の負担増など課題は多い。それでも制度開始からの10年はおおむね順調に推移し、十分な成果を挙げたと評価すべきだろう》(5月20日産經新聞主張)

 どうして<おおむね順調>、<十分な成果を挙げた>と言えるのか、その根拠を示さなければ単なる「自画自賛」でしかない。

《最大の成果は、量刑の変化である。最高裁の総括報告書によれば裁判官のみの裁判よりも裁判員裁判で、性犯罪の強姦(ごうかん)致死傷と強制性交致死傷で重い量刑が選択される傾向が顕著だった。国民は性犯罪に厳しい。魂の殺人とも称される卑劣な犯行を許さない。そうした健全な処罰意識の発露である》(同)

 どうして<性犯罪の強姦(ごうかん)致死傷と強制性交致死傷で重い量刑が選択される>のが<健全>だと言えるのか。その判断基準は何か。これだけでは単なる主張子の印象でしかない。【続】