保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

表現の自由と公共の福祉(4) ~「アームズ・レングス」の原則~

《ここ(=日本国憲法)にいう公共の福祉は、人権の保障そのものの本質から論理必然的に派生する原理であり、憲法の明文にその根拠を有するものではない。したがって、日本国憲法が、その条項に、公共の福祉をもち出したことは、立法技術的にいって無用であったと見るべきであり、また、それは、賢明でなかったとも評される》(宮澤俊義法律学全集4 憲法II[新版]』(有斐閣)、p. 236

 確かに、人権相互間の矛盾や衝突を調整すること以外に人権を制約するものはないと考えるならば、<公共の福祉>などという文言を憲法に書きこむことは必要がなかったと言えるだろう。が、だからこそ、憲法に言う<公共の福祉>とは、宮沢俊義氏の言う人権相互の矛盾や調整ではなく、社会的慣習としての「公序良俗」がその基にあると考えるべきではないか。

 「信教の自由」についてであるが、かつて最高裁はつぎのように述べたことがある。

《信教の自由が基本的人権の一として極めて重要なものであることはいうまでもない。しかし、およそ基本的人権は、国民はこれを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うべきことは憲法12条の定めるところであり、また同13条は、基本的人権は、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする旨を定めており、これら憲法の規定は、決して所論のような教訓的規定というべきものではなく、従つて、信教の自由の保障も絶対無制限のものではない》(最高裁大法廷:昭和381963)年515日)

《もちろん、多彩な作品をきちんと評価し、健全な文化行政を生み育てるには、専門家が役割を果たす制度も重要だ。

 その一つが、政府や自治体から独立して助成などを運営する第三者機関「アーツカウンシル」だ》(116日付朝日新聞社説)

 こういった第三者機関の必要は認めるにしても、人選をはじめとしてその運営は難しいものとなるだろう。

《モデルである英国では、表現活動に金は出すが口は出さない「アームズ・レングス」の原則を、長い時間をかけて築いてきた。日本でも、確かな制度づくりが今後の課題である》(同)

 確かな制度作りという提案に私も賛成する。が、<表現活動に金は出すが口は出さない>のが「アームズ・レングス」と言えるのかどうかは検討の余地がある。表現活動を支援もするが監視も行う。私はそれが「付かず離れず」の「アームズ・レングス」ということなのではないかと思う。【了】