保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「民主主義の退潮を食い止めよ」という読売社説(2) ~「哲人政治」が必要だ~

《中露両国は強権政治で国内の異論を抑え込み、欧米の混乱を横目に国際的な影響力を拡大した。

 中国の習近平国家主席も、ロシアのプーチン大統領も、自らに都合の良い方向に憲法を改正し、長期政権を可能にしている。権威主義的な統治は、ハンガリーやトルコなどにも広がる。

内部対立が露呈しやすく、合意形成に時間がかかる民主政治と比べ、強権政治が政策の迅速な遂行に有利なことは確かだ。

 だが、ネット空間を含めて情報や言論を統制し、国民の基本的人権を侵害する統治は、決して容認できない》(5月4日付読売新聞社説)

 両極端の二者択一を設定して、強権政治が駄目なら民主主義しかないかのような幼稚な論理は到底受け入れがたい。強権政治がよろしくないということはお隣の中国や北朝鮮から漏れ聞こえる情報からも知れるように大方の人が首肯(しゅこう)するところであろうけれども、だからといって民主主義しかないかのごとくに言うのはあまりにも稚拙(ちせつ)である。

 私は、かつてプラトンが主張した「哲人政治」がある種の理想であろうと思っている。

《「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり」とぼくは言った、「あるいは、現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、真実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、すなわち、政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が、現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり、親愛なるグラウコンよ、国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だとぼくは思う》(プラトン『国家』:『プラトン全集11』(岩波書店)藤沢令夫訳:473D)

 だから、「政治家よ、哲人たれ」と私は言いたいのであるが、昨今の日本人の政治家は民衆の御機嫌取りに終始している感がある。

 病気を治すためには時として苦い薬を服用することも必要となる。が、子供は言うに及ばず最近の大人も苦いものを口に入れたがらない。だから政治家は国民に薬を処方することをためらう。

 否、そもそも今の政治家に薬を処方する能力があるのかどうか甚だ疑問である。病状に応じてどのような薬があるのか、その薬にはどのような効用があり、副作用があるのかといった知識が今の政治家にあるとも思えない。

 もっと言えば、今日本はどのような病気に罹(かか)っているのか、それを見極める能力があるとも思えない。症状はあるのに先送りし病状が悪化しても知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるかのようである。【続】