保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

古文・漢文オワコン論について(2) ~必要なのは善く生きること~

「教養」という問題にも触れておこう。

 教育とは独り「実用」だけで成り立っているのではなく、「教養」という側面があることも忘れてはならない。自分が「野蛮」な人間で良いというのなら、「教養」など無用の長物ということにもなるだろう。が、かつて哲学者ソクラテスも言ったように、「善く生きる」ことを考えれば、「教養」というものを無視しては通れない。

 喩(たと)えて言うなら「教養」とは衣服のようなものだ。裸で街を闊歩(かっぽ)されては困る。それが文明社会というものだ。

《世にもすぐれた人よ、君はアテナイという、知力においても、武力においても、最も評判の高い、偉大なポリス(市民国家)の一員でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く自分のものにしたいというようなことに気をつかっていて、恥ずかしくはないのか。

評判や地位のことは気にしても、思慮と真実には気をつかわず、たましい(いのちそのもの)を、できるだけすぐれたよいものにするように、心を用いることもしないというのは、と言い、もし諸君のうちの誰かが、これに異議をさしはさみ、自分はそれに心を用いていると主張するならば、その者をわたしは、すぐには去らしめず、またわたしも立ち去ることをせず、これに問いかけて、しらべたり、吟味したりするでしょう。

そしてその者が徳(よさ)を、もっているように言い張っているけれども、実際にもってはいないと、わたしに思われるなら、いちばんたいせつなことをいちばんそまつにし、つまらないことを、不相応にたいせつにしているといって、わたしは非難するでしょう》(「ソクラテスの弁明」:『プラトン全集 1』(岩波書店)田中美知太郎訳:29D-30A)

フリーアナウンサー安東弘樹(53)が24日放送のTOKYO MX「バラいろダンディ」(月~金曜後9・00)に出演。“古文・漢文オワコン論”についてコメントする場面があった。

(中略)

 安東アナは「使わないものが必要ないとは思わないんですけども。例えば欧米だと多いんですけど、疑似選挙があって。きちんと候補者もいて、投票もできる、そこで政治に興味を持たせることができるんです。あと、日本人は投資を含めて商売というものを科目でやることに抵抗があるのか、実践的な学問が足りないとは思いますね」と語った》(Sponichi Annex 2/24(水) 21:54 配信)

 安東アナは、欧米の政治がどういう状況にあるのか分かっていないのだろうか。このような発言をする前に欧米信仰を払拭する方が先である。

 <投資>の話も疑問である。確かに、<投資>のようなものを学校の授業に持ち込むことに抵抗があることも事実だろうが、それよりもどうして<投資>について学校で教えなければならないのかが分からない。<投資>とは個人の責任において行うべき行為であり、学校が責任のとれる個の確立を優先するのは当然のことである。【続】