保守論客の独り言

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丸山議員への糾弾決議は衆院の汚点(1) ~戦前の斎藤隆夫氏除名を彷彿させる愚行~

《戦争で北方領土を奪い返す趣旨の発言をし、日本維新の会を除名された丸山穂高衆院議員の糾弾決議が衆院の全会一致で可決された。

 決議は「国会議員としての資格はない」とした事実上の辞職勧告だ》(6月7日付毎日新聞社説)

 戦前の斎藤隆夫問題を彷彿させる愚行蛮行である。1940(昭和15)年2月2日、第75議会において斎藤隆夫は次のような反軍演説を行った。

「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて,国民的犠牲を閑却し、曰く国際主義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば……現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない」(「支那事変処理に関する質問演説」における演説:斎藤隆夫『回顧七十年』(中公文庫)、p. 287)

 このあまりにも有名な演説が軍部および議会内の諸党派勢力の反発を招き、圧倒的多数の議員投票によって斎藤隆夫衆議院議員を除名される。

《戦前の帝国議会は、反軍演説をした斎藤隆夫を除名し、言論を封殺した。その反省から、戦後の国会は議員が罪を犯した場合でも辞職勧告にとどめてきた。

憲法は「議院で行った演説、討論または表決について、院外で責任を問われない」と定める。このルールは国会外での発言にもできるだけ当てはめるべきだ》(6月6日付日本経済新聞社説)

 「言論の自由」は保証されねばならないという意味なのであろう。が、<できるだけ>などといってしまっては「言論の自由」は保証されない。

《丸山議員の言動は極めて品位を欠くものではあったが、刑事事件を起こしたわけではない。その意味で、決議が「直ちに自ら進退について判断するよう促す」とする一方、名称を辞職勧告にしなかったのは妥当な判断である》(同)

 妥当も何も、言論が「自由」なのであれば当然のことである。否、国会においてどの程度の譴責(けんせき)とするかなど「言論の恣意的自由」を標榜しているに等しい。

北方領土へのビザなし渡航団に参加した際になされた「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」「戦争しないとどうしようもなくないですか」との発言が、公人として不穏当なのはいうまでもない。

しかも、かなり酔っていたようだ。以前に酒でトラブルを起こして、「公職の間は断酒する」と誓ったにもかかわらずだ。

最も問題なのは、その後の振る舞いである。辞職勧告決議案の上程が検討され始めると、「議場で不問になっている過去の他議員の不祥事」を暴露する、など脅迫めいた発言を連発した。世論の反発が強いとみるや、以降は表舞台から姿を消した。国政を担う資質に欠けることは明らかだ》(同)

 「戦争」という言葉の意味が丸山議員と私とではおそらく異なるのであろうが、共通しているのは、北方領土ソ連が火事場泥棒よろしく不法に占拠したものであるから、日本側がこれを取り戻そうとするのは当然だということである。

 取り戻さなくてもよいと思っている人が丸山発言をお気楽に非難するのはむしろ非道徳的である。まして弱った個人の資質にまで土足で踏み入れて袋叩きにしようとするのは破廉恥としか言い様がない。【続】