「戦争アレルギー」の人たちがいるのは世の中いろいろな考え方の人がいるのだから当然だとしも、一国会議員が「戦争」という言葉を発しただけで糾弾決議までを行う国会があるのは真(まこと)に恐ろしいことである。
《私は丸山議員の言動を批判してきた。だが不品行があったからといって、法を犯していない人間をそこまで追い詰めてよいのか。
維新には長きに亘る彼への怒りがあるだろうし、他の野党は振り上げた拳問題があるのだろうけど、少数派を抑圧しだすと何が起きるか歴史が示している》(三浦瑠璃 6月6日付ツイッター)
一国会議員に難癖を付けて国会全体が糾弾するなどということがあってよいわけがない。日本はいつからシナや北朝鮮のような全体主義国家となったのか。
《議員の不品行は沢山ある。選良の名に値しないと思う議員も。だが集団で一人の人間の不品行をこうして非難決議することの意味合いは恐ろしいものだということをよくわかっておいていただきたい。素朴な憤慨と党利党略の双方で政党が行動した結果、大局観を見失う結果は先の大戦で経験したはずなのだが》(同)
先の大戦に対する認識は三浦女史とは異なるが、国会の愚行に対する認識は同じである。言論の自由が分かっていない、そして一議員の発言が気に入らないと集団で糾弾することの誤りが分からない衆議院議員はみんな国会議員の資格はない。私は、このような決議を行ったすべての衆院議員に「辞職勧告」を行いたいくらいである。
が、一人この決議に加わらなかった衆院議員がいる。それは自民党の小泉進次郎衆院議員である。
小泉:今回、丸山さんの糾弾決議ですか。可決ということになったが、私は出席せず、乗りませんでした。
記者:理由としては?
小泉:その理由としては、もちろん、丸山さんの発言、言動、そういったものはかばえるものは何もないと思います。でも、やはり議員の出処進退というものは、議員一人ひとりが判断すべきことであって、多くの方が辞めるべきだなと、そう思う方が辞めなかった時に、その方のことを今後どうするかを判断するのはまさに選挙ですよね。それが有権者に与えられた民主主義という力であって、私は今回の件を通じて、国民全体でも考える機会にできればという思いです。
(6月6日付小泉進次郎ブログ)
<かばえるものは何もない>というところは私とは認識が異なるが、棄権という形で抵抗を試みたのは非常に勇気のいることであり評価されるところである。実際小泉議員は糾弾決議の採択を棄権したことで自民党から厳重注意処分を受けている。【続】