保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

丸山議員の北方領土発言について(3) ~取り戻す気はあるのか~

《国民の代表である議員として許容される範囲をあまりに逸脱した発言だ。もはや国会に籍を置くべきではなかろう。

 日本維新の会丸山穂高衆院議員が、北方領土返還は戦争をしないと実現できないともとれる発言をした。ビザなし交流で元島民と国後島を訪れ現地での懇談で飛び出した》(515日付毎日新聞社説)

 「平和主義者」の心の狭さがここに表れている。北方領土を取り返すには「戦争」によるしかない。この「理の当然」が認められないのはなぜか。

 ひょっとすると深層心理として「言霊信仰」のようなものがあるのかもしれない。「『戦争』によって奪い返すしかない」などと言えば、本当に「戦争」が起るかもしれない。だから口が裂けても「戦争」という言葉を使ってはならないと直感しているのかもしれない。

 否、やはりより現実的に考えれば、「戦争」という言葉が戦後日本の「禁忌」であったということなのであろう。「平和」というお花畑に閉じ込めておく、それが戦勝国による戦後の対日政策であった。

 もしこのお花畑から出てしまえば赤い悪事が暴かれかねない。先の大戦は日本の侵略戦争などではなく、ソ連スターリンが仕掛けた世界戦略であったということが。つまり、丸山議員を必要以上に非難する人たちの中に共産主義シンパがいるにちがいないことも忘れてはならないのである。

《国家間の問題をいとも簡単に戦争で解決しようと言う政治家がどこにいるだろう。現代では、政治の究極的な目的は戦争を起こさないことにある。あまりの見識の無さにあきれるほかない》(同)

 毎日社説子の<見識の無さ>には呆れる他ない。例えば、米中貿易摩擦だって立派な「冷戦」である。ロシアのクリミア併合、シリア空爆、はたまた北朝鮮のミサイル発射など軍事行動は陸続している。いざとなれば軍事力に訴えようとする姿勢いまだ健在である。

 また、近代は軍事力の行使よりも「情報戦」や「サイバー戦」、あるいは宇宙空間の主導権争いといったものに移行しつつあり、いまだ熱戦だけを戦争だと思い込んでいるのは「平和呆け」と言わざるを得ない。

《大戦末期、ソ連が中立条約を一方的に破棄して対日参戦し、北方四島を軍事占領したのは史実だ。

 戦後、北方四島の帰属をめぐって交渉が続けられてきた。そうした経緯を無視して武力で取り返せばいいというのは、時代錯誤も甚だしい》(同)

 実際の細かな発言は分からないが、丸山議員の言っているのは、北方領土を取り戻すには戦争に訴えるしかないのではないか、ということであって、戦争によって北方領土を取り戻そうと主張しているのではないだろう。

 丸山議員は号令一下軍隊を動かせる地位にはないし、そもそも自衛隊は軍隊ではないから攻撃力が制限されてしまっている。つまり、一国会議員の一見識でしかなく、それをただ自分たちが気に入らぬからといって、寄って集(たか)って袋叩きにするのはただの「リンチ」である。

 取り戻す気のない人たちにはこの違いはどうでもよいことなのかもしれないが、取り戻したい、否、取り戻さねばならないと考える人たちには大きな違いである。

 形だけの交渉だけでは返ってこない。やはり力付くで取り戻すより他はない。が、日本には憲法9条がある。したがって、軍事力を用いて奪還することは出来ない。が、ただこのまま手をこまねいているわけにもいかない。元島民の方々も高齢となってしまっている。

 少なくともお気楽な戦争批判ではなく本気で取り戻そうという気概はなくてはならない。気概無き人たちがお気楽に批判することこそ批判されるべきだ。【了】