保守論客の独り言

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丸山議員への糾弾決議は衆院の汚点(3) ~戦後体制の中に閉じ込められたままの日本~

北方領土を戦争で奪還する趣旨の発言をした丸山穂高衆院議員に関し、当初対応が分かれていた与野党が6日の衆院本会議で「糾弾決議」を全会一致で可決した背景には、「戦争」発言に匹敵する丸山氏の悪質な言動の数々があった。

 議員辞職勧告決議案を出した野党に対し、自民党は「発言だけで議員の身分を問うべきではない」と慎重で、辞職までは求めない「けん責決議案」にとどめた。だが5月23日発売の週刊誌報道で、国後島滞在中の泥酔状態の丸山氏が「女を買いたい」と言って夜間に宿舎を出ようとし、止める政府職員に「国会議員には不逮捕特権がある」と言い放っていたと判明した》(毎日新聞2019/06/06 22:07)

 私は、北方領土を取り返す気のない国会議員よりも、北方領土を取り返すには「戦争」も辞さないという国会議員の方を絶対的に支持する。戦争が嫌だから不法占拠された領土を放棄するというのでは、将来他国が侵略して来たら白旗をあげるしかなくなってしまう。

 中には本気で白旗を上げればよいと考えるおかしな人間もいるようだが、勿論このような人間は例外的存在でしかない。問題は、他国が日本に攻め込んでくることはないと高を括っている人たちである。

 確かに、今は在日米軍が睨みを利かせているから攻め込んでくることはない。が、永遠に米軍が駐留し日本を守り続けると考えるのは甘すぎる。米国はお人好しで日本を守っているわけではない。米国は自国の国益のために日本に進駐しているだけである。

 戦略が変われば米国が日米安保を破棄し、日本から撤退するということも有り得なくはない。また米国にはかつてのような「ゆとり」がなくなってもきている。昨今の保護貿易策もその表れである。

 たとえ専守防衛であろうとも、戦わねば主権が侵害される状況が出来(しゅったい)することは十分有り得ることである。それがたとえ「防衛」であろうと「戦争」である。

 が、今は21世紀である。それは20世紀のような国民を総動員した「熱戦」にはなり得ない。「経済戦」「情報戦」などなどパイの奪い合いはかつてと一変してしまっている。が、敗戦後遺症から抜け出せない日本人にはこのことが分からない。日本は戦後体制の中に閉じ込められたままの「井の中の蛙」でしかない

北方領土を戦争で奪還する旨を述べた丸山穂高衆院議員。戦争放棄憲法に反する発言であり、国民の代表たり得ない》(6月7日付東京新聞社説)

 日本国憲法が命の東京新聞ならではの批判である。戦争放棄憲法は「戦争」という言葉を口にすることも許さない。将又(はたまた)、選挙民によって選ばれた代表を、憲法を盾に<代表足りえない>と決め付ける。

 米国が日本の復讐を恐れ押し付けた9条を美化し続ける倒錯からいまだ脱することが出来ないのはなぜか。日本が軍事力を持つことを、隙あらば日本を掠(かす)め取りたいと思っている国が好まないのは分かる。そういう国に共感を覚えている日本人がいるだろうことも想像に難くない。

 が、こういった政治的思惑抜きで純粋に9条の有効性を信じている人たちがたくさんいるのもまた事実であろう。日本が戦争を仕掛けなければ日本は平和であると考えるのは宗教的には美しいのかもしれないが、政治的には愚かでしかない。【続】