《男性同士、女性同士が結婚できないのは、「婚姻の自由」や「法の下の平等」を定めた憲法に反するとして、13組の同性カップルが全国4地裁で国家賠償請求訴訟を起こした》(2月15日付毎日新聞社説)
が、そもそも憲法24条は「同性婚」を含んだ「婚姻の自由」を認めたものではない。
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
《通説は、この条文は、「婚姻」は異性婚を指し、同性婚には憲法24条の保護は及ばないとします。例えば、長谷部恭男教授の教科書『憲法(第7版)』(新世社2018年)187頁は「憲法は同性愛者間の家庭生活を異性婚のそれと同程度に配慮に値するものとは考えていない」としていますね。
確かに、憲法24条にいう「婚姻」に同性婚が含まれるということになれば、同性婚が「両性=男女の合意」で成立してしまうという意味の分からない条文になるのですから、長谷部教授の指摘は当然です。
また、同性愛者からすれば、憲法24条は、「家庭内に男女の不平等がある可哀そうな異性カップルのための規定」なので、私たちには必要ない、という考え方もできるでしょう。
政府解釈も、「同性カップルに」憲法24条にいう「婚姻の成立を認めることは想定されておりません」とします(平成27年2月18日参院本会議、安倍首相答弁)。憲法24条の「婚姻」は異性婚という意味ですから、同性間での異性婚の成立が「想定されておりません」というのも当然でしょう。
このように、通説・政府解釈は、「憲法24条の保護は同性婚に及ばない」とします》(2018/09/21 09:51弁護士ドットコム)
が、ここで木村教授は法の抜け穴を衝く。
《しかし、「異性婚は、当事者の合意だけで成り立つ」という法命題は、「同性婚を禁じる」という内容を含んでいません》(同)
憲法制定当時、「同性婚」が想定されていなかったのだとすれば、それが禁じられていないのは当然である。だから、「同性婚」を認めるべく24条を改正すべきだ、と主張するのなら分かる。が、今回の提訴はそうではない。想定外であったがゆえ憲法で禁じられてはいない「同性婚」を国が認めないのは憲法違反だというのである。
このような形になったのは、「同性婚」支持者の多くが「護憲派」だからだろう。つまり、憲法は一字一句変えたくない。9条改正を阻止するためには、現行憲法を「不磨の大典」としておかねばならない。
が、このようなやり方は、護憲派が好きな「立憲主義」に悖(もと)るものである。条文自体を変えずに解釈を変えて事に対応しようとするのは、非立憲主義と言わざるを得ない。【続】