保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

同性婚一斉提訴について(2) ~もっと地均(じなら)しが必要だ~

次に、「同性婚」を認めないのは憲法が定めた「法の下の平等」に反しているのかどうかという点である。これも「法の下の平等」というものの拡大解釈であり、やはりこのような「解釈改憲」ではなく憲法を改正するのが筋であると思う。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 成文憲法にすべての具体的事項を書くことなど不可能であるから、時として拡大解釈が必要となるやもしれないことに異論はない。が、やはりそれには限度がなければならず、「法の下の平等」を持ち出せば何であれ平等に扱われなければならないなどということは決してない。

《通常のカップルならば相手が亡くなった場合の法定相続人になれる。税法上は配偶者控除が受けられる。外国人の場合、配偶者としての在留資格が認められる。だが、同性カップルにはそうした法的権利がない。その矛盾を正すのが訴訟の狙いだ》(2月15日付毎日新聞社説)

 「同性婚」を私的な禁断の世界から公(おおやけ)に解放しようと言うのであれば分からなくもないが、法定相続人だの配偶者控除だのという話が先行するとなると「なんだかなぁ」という気がしてしまう。

《原告が求めているのは、特別な権利ではなく平等だ。その主張は理解できる。もはや不利益の放置はできない》(同)

 原告が具体的な<権利>を要求しているのでなく抽象的な<平等>を要求しているのだとすれば対応の仕様がない。つかみどころのない平等要求など理解の仕様もない。

同性婚は今や世界の潮流である。多様な価値観で考えるべきテーマである》(2月15日付東京新聞社説)

 このような言い方は、私には「<多様な価値観>と称して一元的に考えろ」としか聞こえない。<多様な価値観>と言うのなら、「同性婚」を認める人達もいれば認めない人達もいるということも認めるべきである。否、問われているのは、「同性婚」を多様な価値の一つとして社会が認め受け入れるかどうかである。

《海外ではもはや欧米を中心に20カ国以上が同性婚を認める。先進7カ国では日本のみ孤立する》(同)

 私はこういう言い方が嫌いだ。海外には海外の事情があるのだし、海外が先を行っているからといって、それが良い方向を向いているかどうかも分からない。海外を参考にすることは良い。が、海外に合わせなければならないとか、海外に遅れるなとかいった発想は慎むべきである。

 日本は日本の事情を勘案し考えれば良い、それだけである。【了】