保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「人権」と憲法97条(2) ~GHQホイットニーの顔を立てた97条~

《人権、人間の尊厳、法の支配、民主主義――。

 めざすべき世界像としてSDGsも掲げるこれらの言葉は、西洋近代が打ち立てた普遍的な理念として、今日に生きる。

 基本的人権の由来を記した日本国憲法の97条にならえば、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」である》(11日付朝日新聞社説)

 この憲法97条は曰く付きで、GHQのホイットニー民政局長の顔を立てるために入れられたものである。

《いわゆるマッカーサー章案の第3章のはじめに、次の2つの条文があった。
 「第9条 日本国ノ人民ハ何等ノ干渉ヲ受クルコト無クシテ一切ノ基本的人権ヲ享有スル権利ヲ有ス
 第10条 此ノ憲法二依り日本国ノ人民二保障セラルル基本的人権ハ人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果ナリ時ト経験ノ坩堝ノ中二於テ(in the crucible of time and experience)永続性二対スル厳酷ナル試錬二克ク耐へタルモノニシテ永世不可侵トシテ現在及将来ノ人民二神聖ナル委託ヲ以テ賦与セラルルモノナリ」(当時の外務省直訳による)
――というのである。
 マ草案にもとづいて新草案を起草するとき、技術的にいちばん苦労したのは第3章だったが、なかでも、この第10条のあつかいには困った。「積年ノ闘争ノ結果」だとか「時ト経験ノ坩堝」だとか、とてもこれでは日本の法文の体をなさない。もし、このままのものを政府案にとり入れて、議会に出したらどういう批判を受けるか、当時、憲法の立案と総司令部との関係は、外部にはオクビにも出せず、「お手本がそうなっていたから」などという弁明はできないし、あれこれと思案のあげく、マ草案のこの2つの条文を1条にまとめて、

 「第10条 国民ハ凡テノ基本的人権ノ享有ヲ妨ゲラルルコトナシ。
 此ノ憲法ノ保障スル国民ノ基本的人権ハ其ノ貴重ナル由来二鑑ミ、永遠二亘ル不可侵ノ権利トシテ現在及将来ノ国民二賦与セラルべシ」
――としたのであった。
 こうして、マ草案にもとづく新しい政府案を一応まとめ、総司令部に持ちこんだのであったが、そこでの徹夜審議のとき、第3章に入るやいなや、きっそくこの条文が問題になった。先方は「なぜマ草案第10条の文章をとり入れなかったか。」という。
 そこで、こっちは、「あのような歴史的・芸術的な表現は日本の法文には例もないし、いかにも不自然な形になる。」と説明した。そしたら、先方もわれわれの案に同意してくれてただ、「“其ノ貴重ナル由来二鑑ミ”というのは、これだけの文句では意味がわからないから削った方がいい。」といった。この文句は、われわれとしてはマ草案の「人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果」だとか、「時下経験ノ坩堝ノ中二於テ永続性二対スル厳酷ナル試錬二克ク耐へタルモノニシテ」だとか、せっかくの文句を元も子もなく削りっぱなしにするのもどうかと思って、いわばお義理で入れていたものであったから、その修正意見も、こちらにとっては、まことにありがたいものであった。
 ところが、そのよろこびもつかの間、相手側のケーディスだったか、ハッシーだったか、しばらく中座していたのがもどってきて「さきほど、マ草案第10条をオミットすることにしたが、実は、あれはチーフみずからのお筆先になる得意の文章であり、どうも削ることはぐあいが悪い。せめて尻尾の方の第10章あたりに復活することに同意してもらえないか。」といい出した。チーフというのは、おそらくホイットニー民政局長であり、そこに了解を求めにいって、はねられてきたものらしい。

とにかく、それまで第1章などで、「輔弼」がどうだとか、“only”に当たることばが抜けているとか、政府案の字句の末節についてまで、威たけ高になってコズきまわしていた先方が、急に神妙な態度に出てきたので、そうまでいうなら、とこれに同意し、第10章のはじめに、いまの第97条に当たる「此ノ憲法ノ日本国民二保障スル基本的人権ハ人類ノ多年二亘ル自由獲得ノ努力ノ成果ニシテ、此等ノ権利ハ過去幾多ノ試錬二堪へ現在及将来ノ国民二対シ永遠二神聖不可侵ノモノトシテ賦与セラル」という条文を入れることにしたのであった》(佐藤達夫『法律の悪魔』(学陽書房)、pp. 126-128

 が、憲法学の泰斗(たいと)宮澤俊義はこの政治決着に納得しない。

日本国憲法3章の諸規定は、だいたい論理的・体系的に配列されているが、かならずしもそうもいえない点もある。

 いちばんおかしいと思われるのは、まったく基本的人権に関する第97条が、第3草の外に置かれていることである…この規定に相当する規定は、マカーサー草案では、人権宣言の最初に(10条)おかれたのであるが、憲法改正草案要綱以来、「国民の権利及び義務」の章からはずされ、「最高法規」の草に移されてしまった。これは、体裁としては、筋がとおらないとおもわれる》(宮沢俊義法律学全集4 憲法II』(有斐閣)、p. 198【続】