保守論客の独り言

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憲法に規定された天皇の存在の危うさ(1) ~憲法に書き込まれたコミンテルンの陰謀~

天皇陛下は12月23日、85歳を迎えられた。2019年5月の退位を前に、天皇としての誕生日を過ごすのはこの日が最後になる》(時事通信社2018年12月23日 11時04分 JST

 私は、天皇誕生日に先だった記者会見で、宮内庁記者クラブが提出した質問に対し、次のように陛下が回答されたのが気になった。

「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います」(同)

 つまり、天皇の存在は日本国憲法によって規定されているということを陛下自らが述べているのであるが、私は断じてこのような考えを受け入れることは出来ない。

 日本国憲法第1条に

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

とあることからして、ほとんどの国民は陛下の発言に何の違和感も持たないに違いない。が、天皇は伝統に支えられて存在しているのであって、憲法に規定されていることでその存在が認められているわけではない。<この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く>などと天皇の存在があたかも国民の承認に依るもののように言うのは不遜に過ぎる。

 言うまでもなく、このような不遜な文言を新憲法制定当時書き加えさせたのは天皇の存在意義を理解しない「毛唐(けとう)」である。その中心的役割を果たした人物が、『ヴェノナ文書』によってソ連のスパイであることが明かされたT・A・ビッソンであった。

 ビッソンは次のように述べている。

《日本国民の心のなかにある天皇神話全体の信憑性を失わせ、その復活の可能性を永久に取り除くことが不可欠である。もしも日本国民が天皇にそむき、天皇を退位させるならば、その行為は賞賛され、支持されなければならない。もしも彼らがそうしないのならば、彼らが必ず黙従すると考えられる根拠があり次第、彼らに代わってただちにその措置をとらなければならない。

 そのような方針は連合国がとりうるものではない。なぜならば、それはきわめて微妙な問題であり、天皇崇拝は、日本国民の意識の中にあまりにも深く根をおろしているからだ」という主張もあろう。

こういった反対論に対する答として言えば、だれひとり、1日とか1ヵ月かのうちに、あるいは米国軍政府の命令によって成果を挙げることは期待していない。深部からの革命による以外には、一夜にして成果をもたらすことはできないであろう。

しかし、天皇軍国主義者から切り離し、日本国民の間に合理的思想が自由に育つことを可能ならしめるような条件づくりを〔日本の〕敗北後ただちに行なうことが肝要である》(T・A・ビッソン「日本にとっての平和の代価」:『パシフィック・アフェアーズ』17巻1号、1944年3月:『資料 日本占領1 天皇制』(大月書店)、p. 245)【続】