保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

憲法に規定された天皇の存在の危うさ(2) ~お言葉が政治利用される懸念~

第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます」(時事通信社2018年12月23日 11時04分 JST

 私は陛下がこのような政治的分析を語るのを好まない。否、人間天皇による会見そのものが不要ではないかと思っている。

 政治には様々な立場があり、独自の視点や見解を開陳すれば、たとえそれにほとんどの人が理解を示したとしても、反発する者が出てこないとも限らない。権力から離れた存在であるべき天皇がわざわざ自ら好んで政治の領域に足を踏み入れ無用な軋轢を生むようなことをする必要はない。

先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」(同)

 確かに、戦後の「復興」は先の大戦における多くの犠牲を忘れず、国民の弛(たゆ)みない努力あればこそであったとは言えるだろう。が、その後の<平和と繁栄>は、先人の犠牲と努力への敬意と感謝を伴うものであったのかと問われれば、私は甚だ心許(こころもと)なく感じてしまう。

 <正しく伝えていくことが大切である>と陛下は言われる。が、何をもって「正しい」と考えるのかも政治的色合いが濃い問題であり、このような話題は出来るだけ回避するに若(し)くはない。さらに言えば、このお言葉が政治利用されるという懸念もある。

《「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」。天皇陛下は平成最後の誕生日にあたり、記者会見で平和への深い思いを述べられた。

 象徴天皇制を定めた現憲法下で初めて即位した陛下の30年間は、国民の象徴とはどうあるべきかを模索した道のりだった。

 その原点は戦争の記憶にある。3歳の年に日中戦争が始まり、戦火は広がって11歳の時に敗戦を迎える。

 戦後、日本は国際社会へ復帰し、経済復興を遂げる。陛下は今回、その平和と繁栄が「多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました」と語った。

 平和への強い願いを持ち続け、それを長く国民と共有することを象徴としての大きな役割と認識していたのだろう》(12月23日付毎日新聞社説)

 <語った><認識していた>と敬語を用いないのは天皇に対し敬意を示す必要がないという考え方の表れなのであろう。<象徴天皇制>とはそういうものなのだろうか。残念である。【了】