保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「次の質問どうぞ」と繰り返した河野外相について

11日の記者会見における河野太郎外相の対応が批判を呼んでいる。

《日ロ平和条約交渉について「日本が第2次大戦の結果を認めることが第一歩だ」というロシアのラブロフ外相の発言への見解を尋ねた質問を無視し、「次の質問どうぞ」。

 日本の立場を表明しないのか、日本側が一方的に発言を抑えることが交渉に影響を与えないかという関連質問にも一切応じず、「次の質問どうぞ」。

 「なんで『次の質問どうぞ』と言うのか」という問いにも、「次の質問どうぞ」と、繰り返すだけだった》(12月13日付朝日新聞社説)

 これに対し朝日社説子は、

《公式の会見で、4度にわたって記者の質問を黙殺する。大臣としての説明責任を放棄した前代未聞の対応は、ひどすぎると言うほかない。(中略)「お答えできない」ということすら言わない。質問などなかったかのように、次を促す。あまりにも不誠実な対応だ》(同)

と批判する。が、庶民の「常識」としては<不誠実>なのだとしても、事外交問題に関する限り、質問に答えないという「非常識」もあり得る。「お答えできません」と答えることすら憚(はば)られる、そんな微妙な駆け引きが日露間で行われている、そう考えることも可能ではないか。

《外交交渉である以上、公にできないことがあるのは当然だろう。しかし、国境の画定と安全保障がからむ重大な方針転換である。国民の理解を得るため、最大限の説明を尽くす姿勢をとるのは当然のことだ》(同)

 質問がなかったかのように無視するのは「弱さ」の表れとも言えようが、河野外相というよりも日本の外交の「弱さ」は今に始まったことではない。そのことが分かった上で批判するならまだしも、質問を黙殺するしかない立場に置かれている外相の苦しい立場を理解せず、はたまた、頑(かたく)なにだんまりを決め込む河野外相の口を割らせるような質問を工夫するでもなく、ただ批判するというのはお気楽な「正義」でしかない。

《自らの発言がロシア側を硬化させることを恐れてのことかもしれないが、議員や記者の向こうには国民がいる、そんな当たり前のことを忘れたか》(同)

 こんな「外交音痴」なことを言ってもらっても困る。日本国民が納得するかどうかと北方領土が還ってくるかどうかは何の関係もない。勿論、2島返還で国民が納得するのかどうかというような問題はあるだろうが、それと外交交渉とは位相が異なる。<そんな当たり前のこと>が分からずによく社説が書けるものだ。否、分かっていないからこんな頓珍漢な社説が書けるのであろうが…

《民主主義国の外交は、国民の理解に支えられて初めて成り立つ》(同)

 難渋な外交交渉を果たして国民は理解しようとしているのか、理解したいのか、そのことがまず問われなければならない。おそらく大半の国民は難しいことは政治家に任せるという考えなのではないかと思われる。否、それが本来あるべき「間接民主制」というものなのではないか。

 社説子の興味関心が即、国民の興味関心だと思うのは「思い違い」と言うべきである。