保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「言論の府」足りえなかった臨時国会

左寄りの新聞は相変わらず的を射ぬ政権批判を繰り返しているけれども、右寄りの産經新聞までもが今回の国会運営についてご立腹の様子である。

《国会議員が建設的な議論や質問を展開し、法案や政策について政府が丁寧に説明責任を果たす。それが尽くされれば採決に付して結論を出す。

 「言論の府」として当たり前の役割だが、10日に閉幕した臨時国会がそれを果たせたとは到底いえない。極めて残念なことである》(12月11日付産經新聞主張)

 やはり最大の問題は出入国管理法である。

安倍晋三首相は記者会見で、外国人労働者の受け入れ拡大を図る改正出入国管理法の成立を、臨時国会の実績として挙げた。

 首相は制度の運用に万全を期すとしたが、課題は山積している。国のかたちを大きく変える政策転換を、議論が生煮えのまま強行した。その多くの責任は、安倍内閣と与党が負うべきものだ》(同)

 安倍内閣と与党に多くの責任があるのはその通りである。が、このような横暴を許してしまった野党の責任も大きい。数の力が物を言う政治の世界において弱小野党に出来ることは限られてくるけれども、事「言論戦」においては、寸鉄人を刺し、頂門の一針を加うることも可能なはずである。的外れの批判を繰り返すからあしらわれてしまうのだ。

 同じことはマスコミにも言える。世論が政治の動きを左右する昨今、マスコミの報道が鍵となる場合も少なくない。であれば、今のような政治の体(てい)たらくを作った責任はマスコミにもあるということである。

 どうして入管法が生煮えになってしまったのか。それはおそらく批判すべき左寄りの人達が、根っ子のところではむしろ賛成だからであろうと思われる。つまり、博愛よろしく外国人を受け入れて「多文化共生社会」を作ろうとしているのはむしろ左寄りの人達の方だということである。

 私は、外国人を受け入れること自体にもっと慎重であるべきだと思うけれども、安倍政権も左寄りの人達も受け入れ自体に異論はない。問題となっていたのは受け入れ方だけである。その意味で今回の議論は反保守陣営の「チャンバラごっこ」に過ぎなかったということである。

臨時国会は10月24日召集だったが、それより前の同月4日に、ペンス米副大統領の対中政策に関する重要演説があった。米中関係は「新冷戦」に入ったとの見方が広がった。事実であれば、東西冷戦終結以来、およそ30年ぶりの国際環境の地殻変動である。

 だが、臨時国会で「米中新冷戦」と日本の対中政策、防衛力整備、北朝鮮の核・ミサイル、拉致問題について突っ込んだ議論はほとんどなかった。このような感度の鈍さでは、国の舵(かじ)取りはおぼつかない》(同)

 事軍事に関する限り、日本は米国に言われるがままと言ってよいだろう。安全保障関連法も集団的自衛権行使容認も自衛隊憲法明記も、要は米国からの要請なり圧力なりによるものだと思われる。私は自分の国は自分たちで守るという自主防衛の整備を進めるべきだとの立場であるが、今の政治は正反対に一から十まで米国に依存してしまっている。

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(憲法前文)のであるから仕方がないのであるが、まさか日本を弱体化するために定めた条文を日本が遵守するなどとはこれを押し付けた米国の側も思っていなかったであろう。

 国会が「烏合の衆」の様相を呈している。