保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

12月8日を風化させるな!(4) ~封印された日米開戦の歴史~

真珠湾は米国の戦争支持派に、渋る国民を参戦させることに躊躇する議会への従属を免れる手段を提供した。そして惨事のまさにその規模がルーズベルトと彼の顧問に惨事を引き起こした政策から注意をそらす機会を与えたのである。国民が12月7日を純粋に軍事的大災害だと見做すよう巧妙に導き、野戦指揮官にその責任を負わせるよう大衆を煽り立てることによって、ルーズベルト政権は真珠湾がその政策の避けられない帰結であることが決して疑われないことを望んだ。

 真珠湾は、認知された戦争の最初の戦闘であり、政権がずっと前から始めていた秘密の戦争の最後の戦いであった。その秘密の戦争は、宣戦布告によって正式な敵となる何か月も前に我が国の指導者が敵として選んだ国々に仕掛けられたものだった。それは心理的手段によって、宣伝そして嘘によって、米国民にも仕掛けられ、戦争を受け入れるのにのろのろしていると指導者たちに思わされた。国民は、戦争に等しい行為が国家を戦争に陥らせないためのものだと聞かされた。憲法的手続きは存在したが回避され、ついに議会の開戦権は既成事実を承認する行為に過ぎなくなってしまった》(ジョージ・モーゲンスターン『真珠湾 秘密の戦争の話』, pp. 329-330)

 フーバー元大統領は次のように書く。

《私はマッカーサーに、1945年5月にトルーマンに宛てた覚書の内容を話した。我が国は、この戦いの重要な目的を達成して日本との講和が可能である、と伝えたのである。マッカーサーもこの考えに同意した。(早い時期に講和していれば、その後の)被害はなかったし、原爆投下も不要だったし、ロシアが満州に侵入することもなかった。私は、日本との戦いは、狂人が望んだものだというと、彼はそれに同意した。

また1941年7月の日本への経済制裁は、ただ日本を挑発するだけであり、日本は戦うしかなかった。あの経済制裁は、現実の殺戮や破壊ではなかったが、それ以外の点では戦争行為であった。いかなる国であっても、誇りがあれば、あのような挑発に長いこと耐えられるものではない》(ハーバート・フーバー『裏切られた自由(上)』(草思社)渡辺惣樹訳、p. 475)

 <狂人>とはルーズベルト大統領その人である。

 米国は日本に<最初の一発>を撃たせるよう追い込んだ。石油を止め、ABCD包囲網で経済を封鎖し、最後通牒ハルノートを突き付けた。

《実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなった以上は、万一の僥倖(ぎょうこう)に期しても、戦った方が艮いといふ考が決定的になったのは自然の勢と云はねばならぬ、

若(も)しあの時、私が主戦論を抑へたらば、陸海に多年錬磨の精鋭なる軍を持ち乍(なが)ら、ムザムザ米国に屈伏すると云ふので、国内の与論は必ず沸騰し、クーデタが起つたであらう。実に難しい時であった。

その内にハルの所謂最后通牒が来たので、外交的にも最后の段階に立至った訳である》(『昭和天皇独白録』(文春文庫)、pp. 84-85)

日本の汚名を雪(すす)ぐためにも封印された歴史を繙(ひもと)く必要がある。【了】