保守論客の独り言

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高速炉について ~開発の必要性をまず論じよ~

廃炉作業中の高速増殖原型炉「もんじゅ」の後継となる高速炉開発について、経済産業省の作業部会が工程表の骨子をまとめた》(12月12日付産經新聞主張)

 ほとんどの人がこのような話が進んでいることを知らないに違いない。「もんじゅ」が大失敗だったにもかかわらず、性懲りもなくこのような話が続けて出てくるなどと誰も思わないだろう。にもかかわらず、出てくるのが「親方日の丸」である。

《高速炉は、プルトニウムを効率的に燃やすことができる。原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、再び発電に使う核燃料サイクルで中核的な役割を担う。国は1950年代から開発を推進してきた。

 ところが、1兆1千億円を投じたもんじゅは、20年あまりの間ほとんど運転できないまま2年前に廃炉が決まった。その際に関係省庁や電力業界、原発メーカーなどでつくった高速炉開発会議の作業部会が今後の工程を検討し、初めてまとめたのが今回の骨子である》(12月5日付朝日新聞社説)

 ここには前回の失敗がしっかり総括されたということもない。

もんじゅは、1兆円もの国費を投入されながら20年以上にわたって、ほとんど稼働しないまま廃炉になった。その敗因は、工学技術よりも、むしろ運営主体の日本原子力研究開発機構などの組織運営のまずさにあった。

 工程表の骨子には、もんじゅの挫折から教訓をくみ上げる文言が見当たらない。反省がないまま原子力機構を主要メンバーとして、再び高速炉開発を目指すのか。

 失敗に学ばないプロジェクトは負の無限ループに陥る。そのことを肝に銘じるべきである》(同、産經

 おそらく「失敗」を失敗と思わない人達だからこのような計画を発表して恥じないのであろう。高速炉の技術的問題以前に、このような人達が能天気に計画を進めることが「危険」である。この「危険」は除去しなければならない。

 が、高速炉が危険だということでこの計画に反対しようとすることには反対である。

核燃料サイクルで重要な役割を担う高速炉の開発は、エネルギー資源に乏しい日本にとって不可欠だ。(中略)

 高速炉は、原発の使用済み燃料を再処理して回収したプルトニウムなどを有効利用して発電する次世代原子炉だ。

 核燃料サイクルの推進は、わが国のエネルギー政策の基本方針である》(同)

 高速炉が<不可欠だ>とか、<核燃料サイクルの推進は、わが国のエネルギー政策の基本方針である>と言い切ってしまえるほどこの問題は世間に周知されてはいない。福島の原発事故があったのだから、まずは不可欠であると言えるまで議論を煮詰め直す必要がある。でなければ、

《高速炉開発を断念すれば、核燃料サイクルの破綻が鮮明になる。そうなると、青森県で建設中の再処理工場をどうするのか、全国の原発でたまっている使用済み燃料をどう取り扱うのか、といった難問が噴出する。それを避けるには、高速炉の開発を続け、核燃料サイクルの破綻を取り繕うしかない》(同、朝日)

などという話に受け取られかねない。

 議論をすり抜けて、世間が知らないうちに既成事実を作り上げようとしているのだとすれば、それこそ問題である。