保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

憲法審査会について(2) ~木に竹を接ぐ改正案~

憲法審は伝統的に与野党協調を重視して運営されてきた。国家の根幹である憲法の改正論議には与野党の枠を超えた幅広い合意が必要との共通認識があったためだろう。

 だが、今回は異例の会長職権で開催に踏み切り、幹事を選任しただけで実質審議は行われなかった。野党との協調を軽んじ、強引な印象は否めない。

 立民や国民も憲法論議自体を否定しているわけではない。粘り強く出席を働きかけるべきだった》(12月5日付京都新聞社説)

 高々10年くらい、お茶を濁す程度に開催しただけのものを<伝統>などと言って、これを守るべきであるかのように言うのは間違っている。はっきり言って、与野党協調が先にあるような気の抜けた憲法議論など無意味である。

憲法改正には、衆参各院の3分の2以上の賛成で発議した後、国民投票過半数を得るという高いハードルが待ち受ける。

 与野党の幅広い合意を形成し、国民の理解を広げていくことが欠かせない》(12月4日付読売新聞社説)

 日本国憲法は、占領国が被占領国の基本法を定めてはならないという国際法ハーグ陸戦協定に反した存在である。にもかかわらず、その条項を真面目に遵守(じゅんしゅ)して改正しようとしていること自体が滑稽なのである。日本を弱体化するためにGHQが定めた「占領基本法」をいつまでも「日本国憲法」と称し有難く戴(いただ)き続けていることほど愚かなことはない。

 たとえ出自に問題があろうとも、日本が主権を回復して半世紀以上が過ぎている。憲法を破棄するなり改正するなりしようと思えば出来たにもかかわらず、変えなかったのだから「時効」が成立している。だから今更占領下で押し付けられたものだから「無効」だと言うことは出来ない、などという話はその通りなのであるけれども、これは経済学で言うところの「合成の誤謬(ごびゅう)」のようなものではないか。

 1つひとつはそれなりに理屈が通っていても、それを合わせれば間違った結論となっているということである。このような屁理屈に縛られて「日本弱体化法」を持ち続けるのは自虐と言うしかない。

《過ちて改めざる、是を過ちという》(『論語』衛霊公 第15)

(過ちを犯したことを知っていながらも改めようとしない、これを本当の過ちという)

 問題は、日本国憲法が出自において国際法違反の存在であり、実質はGHQが日本を弱体化するために定めた「占領基本法」であったという歴史的事実をほとんどの国民が知らないことにある。

 中身においても、戦後教育は日本国憲法を左翼思想からいたずらに「美化」し、問題点を明らかにしてこなかった。

 これらのことを国民が知った上で改正論議を進めないから、今のような木に竹を接ぐかのような改正案が恥ずかしげもなく出されてしまうのではないだろうか。【了】