保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

12月8日を風化させるな!(1) ~大東亜戦争 vs. 太平洋戦争~

1941(昭和16)年12月8日は大東亜・太平洋戦争開戦の日である。日本の命運を左右する賽(さい)が投げられた重要な日であるが、もうこれまでに語りつくしたからか、それともこれ以上取り上げたくないからか、12月8日を特別視しようとするマスコミはほとんど見られないように思われる。

 が、12月8日という日は、我々がどうして米国と戦火を交えなければならなかったのかについて考える好い機会である。よく「自国の歴史を忘れた民族は滅びる」と言われるように、機会あるごとに歴史を振り返ることは重要であろうと思われる。

《12月8日は子供心に印象深い。日本が米英と西太平洋で交戦状態にはいったその日から戦争は「大東亜戦争」と呼ばれ、敗戦後は「太平洋戦争」となった。アメリカ側で the Pacific War とか War in the Pacific と呼ぶからだが、「大東亜戦争」といわせておくと、日本が大東亜解放のために戦った、という義戦の面が表に出る。それでは連合国側に都合が悪い。

 だがここで問いたい。第2次大戦で日本が戦ったのは「太平洋戦争」だけなのか、「大東亜戦争」の側面は皆無なのか》(平川祐弘「『複眼』で12月8日を振り返る」:12月7日付産經新聞「正論」)

 私は、欧米帝国主義国から亜細亜を解放すべく戦った「大東亜戦争」と、太平洋を挟んで雌雄を決すべく戦った「太平洋戦争」は分けて考えるべきではないかと思っている。

 勿論、この2つの「戦争」は同時に行われたものであり、不可分なものだとも言えるだろう。が、「太平洋戦争」と呼べば亜細亜解放の側面が消えてしまうし、かといって「大東亜戦争」と呼べば米国との決戦の心象が薄れてしまう。だから私は「大東亜・太平洋戦争」と呼ぶことにしているのである。

《日本は開戦直後の1941年12月10日、…大本営政府連絡会議において、「今次の対米英戦争及び今後情勢の推移に伴い生起すべき戦争は、支那事変を含めて大東亜戦争と呼称する」ことを決定いたしました。(中略)

しかるに戦後次のような連合軍総司令官マッカーサー元帥の通達が出されました。「公文書に大東亜戦争、八紘一宇なる用語ないしその他の用語にして、日本語としてその意味の連想が、国家神道軍国主義、過激なる国家主義等と切りはなし得ざるものは禁ずる」というのであります。

爾来(じらい)日本の政府を始め、民間の言論報道人は、公文書私文書を問わず、「大東亜戦争」という呼び名を使用しなくなり、中にはその呼び名を使うことを嫌悪するものさえも生ずるにいたったのでありまして、占領終結に伴い通達の効力が自然消滅した後におきましても、その慣行が続いているのであります》(瀬島龍三大東亜戦争の実相』(PHP文庫)、pp. 23-24)【続】