保守論客の独り言

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12月8日を風化させるな!(2) ~歴史の証言~

日米開戦について、評論家小林秀雄は次のように書いた。

《「來るべきものが遂に來た」といふ文句が新聞や雑誌で實(じつ)に澤山使はれてゐるが、やはりどうも確かに來てみないと來るべきものだつたといふ事が、しつかり合點(がてん)出來ないらしい。

「帝國陸海軍は、今八日未明西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戰闘状態に入れり」

 いかにも、成程(なるほど)なあ、といふ強い感じの放送であつた。一種の名文である。日米會談といふ便秘患者が、下劑をかけられた樣なあんばいなのだと思つた。僕等凡夫(ぼんぷ)は、常に樣々な空想で、徒らに疲れてゐるものだ。

日米會談といふものは、一體本當のところどんな掛け引きをやつてゐるものなのか、僕等にはよく解らない。よく解らぬのが當り前なら、いつそさつぱりして、よく解つてゐるめいめいの仕事に専念してゐれば、よいわけなのだが、それがなかなかうまくいかない。あれやこれやと曖昧模糊とした空想で頭を一杯にしてゐる。その為に僕等の空費した時間は莫大なものであらうと思はれる。それが、「戰闘状態に入れり」のたつた一言で、雲散霧消したのである。それみた事か、とわれとわが心に言ひきかす樣な想ひであつた。

 何時にない清々(すがすが)しい気持で上京、文藝春秋社で、宣戰の御詔勅(ごしょうちょく)捧読(ほうどく)の放送を拜聴した。僕等は皆頭を垂れ、直立してゐた。眼頭は熱し、心は静かであつた。畏(おそれ)多い事ながら、僕は拜聴してゐて、比類のない美しさを感じた。

やはり僕等には、日本國民であるといふ自信が一番大きく強いのだ。それは、日常得たり失つたりする樣々な種類の自信とは全く性質の異なつたものである。得たり失つたりするにはあまり大きく當り前な自信であり、又その為に平常特に氣に掛けぬ樣な自信である。僕は、爽やかな氣持で、そんな事を考へ乍(なが)ら街を歩いた。

 やがて、眞珠灣爆撃に始まる帝國海軍の戰果発表が、僕を驚かした。僕は、こんな事を考へた。僕等は皆驚いてゐるのだ。まるで馬鹿の樣に、子供の樣に驚いてゐるのだ。だが、誰が本當に驚くことが出來るだらうか。何故なら、僕等の經驗(けいけん)や知識にとつては、あまり高級な理解の及ばぬ仕事がなし遂げられたといふ事は動かせぬではないか。名人の至藝(しげい)と少しも異るところはあるまい。

名人の至藝に驚嘆出來るのは、名人の苦心について多かれ少なかれ通じていればこそだ。處が今は、名人の至藝が突如として何の用意もない僕等の眼前に現はれた樣なものである。偉大なる専門家とみぢめな素人、僕は、さういふ印象を得た》(「三つの放送」:『小林秀雄全集 第7巻 歴史と文學・無常といふ事』(新潮社)、pp. 345-346)

 平和な日々を送る我々にとって、この小林秀雄の感情を理解することは難しいに違いない。が、このような気分の高まりは小林秀雄だけのものではない。作家・太宰治も次のように書いている。

《台所で後かたづけをしながら、いろいろ考えた。目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心(てきがいしん)を起こさせるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい。支那を相手の時とは、まるで気持ちがちがうのだ。

本当に、此の親しい美しい日本の土を、けだものみたいに無神経なアメリカの兵隊どもが、のそのそ歩き回るなど、考えただけでも、たまらない。此の神聖な土を、一歩でも踏んだら、お前たちの足が腐るでしょう。お前たちには、その資格が無いのです。日本の綺麗な兵隊さん、どうか、彼等を減っちゃくちゃに、やっつけて下さい。

これからは私たちの家庭も、いろいろ物が足りなくて、ひどく困る事もあるでしょうが、御心配は要りません。私たちは平気です。いやだなあ、という気持ちは、少しも起こらない。こんな辛い時勢に生まれて、などと悔やむ気がない。かえって、こういう世に生まれて生甲斐をさえ感ぜられる。こういう世に生まれて、よかった、と思う。

ああ、誰かと、うんと戦争の話をしたい。やりましたわね、いよいよはじまったのねえ、なんて》(太宰治『十二月八日』:『昭和戦争文学全集4 太平洋開戦 -12月8日―』(集英社)、p. 196)【続】