保守論客の独り言

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脱ハンコについて(3) ~日本文化再発見~

フォトジャーナリストの内村コースケ氏は言う。

《印鑑文化の終わりと、デジタル化の波は、確実に近づいている。一方で、このタイミングで、「クールジャパン」の一つとして印鑑が見直されているという事実もある》(「『デジタルファースト』で岐路に立つ日本の『はんこ文化』」:Newsweek 日本版 0190201日(金)1710分)

 印鑑は日本独特のものであるから、「日本は印鑑文化だ」と言ってよいのかもしれないが、ここで少しだけ<文化>という言葉を掘り下げておこう。

《一體(体)文化などといふ言葉からしてでたらめである。文化といふ言葉は、本来、民を化するのに武力を用ひないといふ意味の言葉なのだが、それをcultureの譯(訳)語に當(当)てはめて了(しま)つたから、文化と言はれても、私達には何の語感もない。語感といふもののない言葉が、でたらめに使はれるのも無理はありませぬ。

cultureといふ言葉は、極く普通の意味で栽培するといふ言葉です。西洋人には、その語感は充分に感得されてゐる筈ですから、cultureの意味が、いろいろ多岐に分れ、複雑になっても根本の意味合ひは恐らく誤られてはをりますまい。果樹を栽培して、いゝ實(実)を結ばせる、それがcultureだ、つまり果樹の素質なり個性なりを育てて、これを發揮させる事が、cultivateである》(小林秀雄「私の人生觀」:『新訂小林秀雄全集』(新潮社)第9巻 私の人生觀、p. 28

 このように小林氏は言うけれども、例えば、『ジーニアス英和辞典』(大修館)第5版を引いてみると、cultivateという動詞の4番目に「<人を>教化する、啓発する」という訳語が見られるので、cultureを「文化」と訳すのはあながち間違っているとは言えないと思われる。が、cultureの語源であるラテン語 colere(耕す)の意味合いが「文化」という語からは感じられないことは指摘の通りである。

《テレビ番組でハンコ愛が紹介されてブレイクした「ハンコ王子」こと、在日フランス人のロマ・トニオロさんというタレントも登場した。ロマさんは、「兎弐桜路」という漢字の当て字の印鑑を愛用。日本での生活を始めるにあたって、アパートの契約などの様々な局面で恍惚の表情でハンコを押す様子がお茶の間に流れた》(同、Newsweek 日本版)

《ポンとスタンプするだけで家を借りれたり、銀行口座を作れたりと、「なんでもできるはんこが魔法の道具に見えた」と、ロマさんはテレビで語っていた。そこに彫り込まれる漢字には、一文字一文字に複数の意味が込められているという、アルファベットにはない魅力がある》(同)

 ハンコには表音文字・アルファベットとは異なる表意文字・漢字の不思議な魅力がある。そのことを改めて一人の外国人が発見させてくれた。

《「はんこは日本の文化を象徴するとても大切なもの。だから、はんこを使うことは僕が(大好きな)日本人に近づく大切な一歩なんだ」と、親日家のロマさんは語る。外国人向け日本生活情報サイト「TOKYO CHEAPO」のライター、グレッグ・レーンさんも、多くの在日外国人は、日本社会の一員であることを実感するために印鑑を作ると指摘する》(同)

 ハンコを持つことは、責任ある大人となったことを示す「地位の象徴」(status symbol)である。同様に、外国人にとっては、日本社会の一員となったことの証(あかし)である。

 「クールジャパン」は往々にして日本人が「クール」と考えるものを外国人に押し付けようとする嫌いがあるが、日本人が「クール」と感じたこともないような極平凡なものであっても外国人の目には「クール」と映るものがあるということをハンコの一件が教えてくれたのではなかろうか。【了】