保守論客の独り言

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防衛大綱見直しについて(3) ~自衛隊にはめられた2つの箍~

《国際情勢の変化に応じて防衛力を見直すことは必要だ。しかし、他国に脅威を与える装備を買いそろえたり、防衛費を際限なく増やすことで、憲法の趣旨である「専守防衛」を逸脱してはならない》(11月29日付東京新聞社説)

 <憲法の趣旨>とは何か。元来憲法9条の趣旨は「非武装」であった。それが朝鮮戦争が勃発したことによって状況が変わり、「自衛」までが否定されてはいないということに変節したのである。そして新たな箍(たが)として言われるようになったのが「専守防衛」である。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」であるから9条2項にいう「戦力」に当たらないなどと言うのは詭弁(きべん)以外の何物でもない。たとえ自衛であろうと国と国民を守るために戦うのであれば立派な「戦力」である。「専守防衛」が<憲法の趣旨>などというのはちゃんちゃらおかしいのである。

 が、憲法云々の話を除けば、戦後日本は長年「専守防衛」ということでやってきたのであるから、これを逸脱する場合は、しっかりと議論した上の変更であるべきだ。否、「専守防衛」などという自縄自縛は速やかに解いて、さっさと「普通の国」になるべきである。

《政府見解は大陸間弾道ミサイルICBM)や長距離戦略爆撃機などと同様「攻撃型空母」の保有は許されないとしてきた。「いずも」を空母化しても防衛目的に限れば、憲法が禁じる戦力には当たらない、という理屈なのだろう。

 しかし、これは詭弁(きべん)だ。米軍の例を引くまでもなく、空母は打撃力を有する攻撃的兵器である。攻撃的兵器と防御的兵器の区別が困難であることは、政府自身が認めてきた。いくら防御型と言い募っても攻撃型性能を有することは否定できず、専守防衛を逸脱する》(同)

 空母が専守防衛を逸脱するから空母を保有することが出来ないというのであれば、専守防衛の方を改めればよいだけである。勿論、空母が本当に必要かどうか、それはどの程度のものかといった議論は必要であろうが、専守防衛に縛られ続けて必要な軍備が持てないというのであれば本末転倒である。専守防衛という箍を取ってしまえば、おそらくもっと柔軟な防衛が可能となるに違いない。

 が、自衛隊には米国というもう1つの箍がはめられている。この箍を外さなければ柔軟に対応することは出来ないだろう。

 が、この箍は米国が自ら外さない限り外れそうにもない。専守防衛という箍を外したところで米国という箍にはめられていては、結局何も変わりはしない。

 空母にしても自主規制を解いて保有しようとしても米国が許さなければ保有できないであろうし、自主規制があっても、米国が保有するよう要請すれば保有せざるを得ない。なんとも情けない話なのである。【了】