保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

就労外国人受け入れについて(3)~過去の成功体験に縛られるな~

《人口減少下で日本が成長するには外国人材の積極的な受け入れが不可欠だ》(11月3日付日本経済新聞社説)

 泳ぎ続けばければ死んでしまうマグロのように、日本も成長し続けなければならないと考えるのは一種の「恐怖症」(phobia)である。が、私は、日本経済は右肩上がりの「成長」ではなくむしろGDPのような数値では測れない「成熟」を目指すべき段階に来ていると思う。

《外国人に頼らなければ、もはやこの国は成り立たない。その認識の下、同じ社会でともに生活する仲間として外国人を受け入れ、遇するべきだ》(10月29日付朝日新聞社説)

などと朝日が言うのは、何か下心があるようにも思われもなくはないが、やはり短慮と言わざるを得ないであろう。人口減少によって人手不足となりこのままでは仕事が回らなくなるというのは、日本の環境への適応能力を見縊(みくび)った底の浅い推論である。

《これからわれわれが迎えようとしている新しい社会、「知価社会」においては、ものの値打ちの中の大きな部分が「知価」によって占められている形態こそ一般的となり、「知価」の創造こそが価値生産の主要な形態になるだろう》(堺屋太一『知価革命』(PHP)、p. 63

 別の言い方をすれば、「モノづくり」から「コトづくり」へと社会は変化していくと予見されるということである。そんな中、「モノづくり」の短期的な人手不足に気を取られるが余り、中長期的には必要が疑われもする外国人労働者受け入れのために法律を改正しようと言うのであるから、こんな先の読めない政府をこのまま頂いていても大丈夫なのかと心配になってしまう。

《「知価」が重要な役割を果すような社会―「知価社会」は、工業社会の延長上にある「高度社会」などではなく、工業社会とは全く別の「新社会」なのである。

 今、この1980年代に、日本で、そして世界の先進諸国(とりわけアメリカ)で起っている変革は、単なる技術革新でもなければ、一時的な流行でもない。それは、産業革命以来200年振りに人類が迎えた「新社会」を生み出す大変革、いわば「知価革命」なのである》(同、p. 222

 私は人気作家よろしくこんな大仰なことは言わないが、社会がダニエル・ベルも言うように工業社会から脱工業社会へと変わりつつあることだけは間違いないように思われる。否、時代の先端を行く日本は、いつまでも新興工業国と1つのパイの奪い合いを行っているのではなく、新たな社会を切り開くべく自らがまず変わる責務があるのではなかろうか。

 これから問われるのは、労働の「量」ではなく「質」である。人手が足りないから外国から来てもらうというような話ではなく、いかに「高付加価値」を生み出せる産業構造を創り出せるのかの方がはるかに重大な問題である。

《日本は、きわめて工業社会に適した社会と文化を育ててきた。このことが今日の日本の成功を生んだことは疑いの余地がない。しかし、一つの環境に適して作られたものは、環境変化に対応し難い。巨大な恐龍や強力なマンモスが滅んだのもこのためだ。われわれは今こそ、過去の成功体験の束縛から離脱する、いわゆるアンラーニングを必要としているのではないだろうか》(同、p. 308【了】