保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

就労外国人受け入れについて(2)~産業構造の転換を先に考えるべきだ~

《どんな業種に、どれくらいの数の外国人を迎えようとしているのか。この根本的な問いにすら山下貴司法相は答えられず、「現在精査している」と述べるのがやっとだった。

 安倍首相も同様だ。移民政策への転換ではないのかとの指摘に対し、移民政策を「一定規模の外国人を期限を設けることなく受け入れ、国家を維持する政策」と独自に定義し、それには当たらないと繰り返した。

 1年以上その国に住めば移民と扱うのが国連などでは一般的だが、首相は「違うから違う」と言うだけだ。そして外国人労働者の支援策については、「検討を進めている」にとどまる》(11月3日付朝日新聞社説)

 <どんな業種に、どれくらいの数の外国人を迎えようとしているのか>が分かれば苦労はしない。経済は日本国内だけで回っているわけではないのだし、将来も含めてどの業種にどれだけ労働者が不足するのかなど分かりっこないのである。こんな問いを発する方も発する方である。

 否、このような稚拙な問いを根本的と言う前に、日本はこれからも現在のような産業構造を維持すべきなのかを問う方がもっと根本的であろう。自動車産業白物家電といった業種は激しい国際競争の晒(さら)されており、いつまでもこれらの業種に依存し続けるわけにはいかない。

《これから豊富になるのは何だろうか。それは広い意味での「知恵」に違いない。

 「知恵」というものは、過去の知識と経験の蓄積によって増え、教育と情報流通の発達によって普及し、人々の感覚と思弁によって創造される。しかし、ここにきてコンピュータとコミュニケーションの飛躍的な発展によって「知恵」を貯蔵し、加工し、流通させる手段は急激に増加するようになった。特に近年におけるパーソナル・コンピュータやオフィス・コンピュータ、その間を繋ぐコミュニケーション技術の発達普及は、われわれの生活と仕事の場に、その都度登場する「知恵」の量を激増させている。

 つまり、これからは「知恵」の豊富な時代になる。従って、これからの社会では「知恵」を沢山使うライフスタイルが尊敬され、「知恵の値打ち」を多く含んだ商品がよく売れるようになるだろう。私が、次の社会を「知恵の値打ちが支配的になる社会」すなわち「知価社会」と想定するのはこのためである》(堺屋太一『知価革命』(PHP)、pp. 59-60)

 この本の初版は1985年であるが、それから30年余りが過ぎた今も日本は古色蒼然とした「モノづくり」の産業構造に拘泥(こうでい)している。それは保守的というよりも守旧的というべきであろうし、新たなことへ果敢に挑戦しようとする精神の欠如でしかないように思われる。

《日本が、今後もこの種の旧社会維持型(工業社会維持型)の政策を採り続けることになる可能性は強い。日本にとっては、成功した工業社会の体制を崩す方向に政策転換するよりも、それを維持する現行政策を続ける方が容易であり、政治力学的にも安易である。加えて、かつてのプロイセンがイギリスという農産物市場を持ったように、今の日本も「知価革命」の進行によって「産業の空洞化」の進んだアメリカ市場を持っている。日本が「知価革命」を抑圧し、工業社会を維持する政策に妥当性を見出す条件はあるわけだ。

 しかし、それが安易な道だからといって、長期的に有利とは限らない。あまりにも工業社会に適した社会を築いた日本が、さらにそれを政策的に維持するならば、国際環境の変化にも対応できない硬直化に陥る恐れがある。何よりも国民、とりわけ若年層の間で進行している「知価革命」の本音と、建前に基づく政策との矛盾が拡大するに違いない。これは、国際的摩擦と国内的分裂を限りなく深めることにも繋がる》(同、pp. 304-305)【続】