一燈照隅(池内昭夫の日記)

~天邪鬼(あまのじゃく)の独り言~

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■三木清『人生論ノート』論  5/2(1)「100分de名著」の偏見  5/8(2)幸福論を抹殺したカント  5/15(3)哲学書だからこそ難しい  5/22(4)偏見による幸福と成功の誤読  5/29(5)真の幸福と神  6/5(6)虚栄と虚無   6/15(7)神の怒を思へ! NEW

「対外侵略のイデオローグ」に祭り上げられた吉田松陰(3)~松陰と安倍首相を同列に論ずる勿れ~

松陰は危険人物だ、その危険人物の言をしばしば引用する安倍晋三首相も同様に危険人物だ、という論法らしい。その類推(analogy)は当たらずといえども遠からずの感が無きにしも非ずではあるが、松陰の危険性と安倍首相の危険性は少し異なるように思われる。

 今の日本語では「TPO」(時・所・場合)という言葉が使われるが、古くは儒学者中江藤樹が「時処位(じしょい)」と言っていた。

《儒書に載せてある礼儀作法を少しも違えずに全部残さず取り行なうのを、儒道を行なうと考えるのは大きな誤りである。たとい儒書に載せてある礼法を少しも違えずにみな実行しても、その行なう事柄が、時・所・位に相応し適当し合致する道理がなければ、儒道の実行ではなく異端の行為である》(中江藤樹『翁問答』下巻之末『日本の名著11 中江藤樹 熊沢番山』(中央公論社)山本武夫訳、p. 143)

 かつての松陰と今の安倍首相ではこの「時処位」が異なる。したがって、「千万人と雖も吾往かん」の意味合いも同じではない。甘いことを言っていては日本は欧米列強の植民地にされかねないと危機感を覚えた松陰と、米国に守られ安逸(あんいつ)を貪(むさぼ)ってきた戦後日本における安倍首相を同列に論じるわけにはいかない。

 最後に、幾つか私の目に留まった松陰の名言を見ておこう。

《宜しく平日に議論して、時に臨みて誤ることなかれ》(講孟箚記)

((重要な問題は)何もない平穏無事な時に議論しておくべきである。いざという時に臨んで、判断をまちがえることのないように)

私見]平穏無事だから国会で森友・加計問題で遊んでいてよいということにはならない。憲法にせよ、経済にせよ、福祉にせよ、教育にせよ、冷静に話し合える今こそ議論すべき問題はいくらでもある。

《天下の大患(たいかん)は、其の大患たる所以(ゆえん)を知らざるに在り。苟(いやしく)も大患の大患たる所以を知らば、寧(いずく)んぞ之れが計を為さざるを得んや》(恐夫の言)

(世の中の大いに憂うべきことは。国家が大いに憂慮すべき状態にある理由をしらないことにある。仮にその憂慮すべき事態になる理由を知れば、どうしてその対応策を立てないでいられようか。立てるべきである)

私見]例えば、日本国憲法は「大患」の1つであろう。日本を骨抜きにするために作られた「占領基本法」をいまだ後生大事に憲法として戴いているのは奇々怪々でしかない。自衛隊憲法に明記するかどうかといった本質とかけ離れた話しか出てこないのは、まさに「平和呆け」としか言い様がない。

《太平の気習として、戦は万代の後迄もなきことの様に思ふもの多し、豈(あ)に嘆ずべきの甚しきに非ずや》(将及私言)

(平和な時代の気持ちや雰囲気として、戦争は永遠にないことのように思っている人が多い。なんと嘆くべきことではないか)

私見]平和だから何もしなくてよいのではない。戦争にならないように万全を期すことが平和を守るためには不可欠である。平和を守るための対策であるのに、「軍靴の跫(あしおと)が聞こえる」などといってこれを邪魔をする人達がいるのは嘆かわしいばかりである。【了】

(参考文献)川口雅昭著『吉田松陰名語録』(致知出版社

      川口雅昭編『吉田松陰一日一言』(致知出版社