保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「対外侵略のイデオローグ」に祭り上げられた吉田松陰(2)~松陰を過大に危険視するのはなぜか~

《何といつても彼(=松陰)は、外國の情勢に對して目隠しされてゐた鎖國時代の一田舎侍に過ぎない。その上彼は二十代を殆んど幽囚の境遇の下に過してゐる。その接し得る資料、従つてその客観的認識は、今日の小學生にも劣るであらう。それに「攘夷」といふ建前は、その尊皇ファナティシズムからいつて降ろすことの出來ない看板である。

儒學、殊(こと)に徳川の御用學的朱子學からいつての、意識下にある夷狄(いてき)への蔑視、又その侵略への脅威、それは松陰の異國觀に一貫した根本的感情である。それを取り上げ纏(まと)めて一つの人生觀にしたらかなり迂遠偏狭な、そしてわが國に明治以後までよく見かけられた紅毛(こうもう)嫌ひが出來上る。それに松陰を倣(なぞ)らへることは、可能だけど、然(しか)しそれでは彼の人物は歪められることになる。

 然し又、その反對の見方も可能であり、殊に戦後の松陰論によく見かけられるものである。即ち開明論者としての松陰であり、大いに世界に眼を開いてこれに學ばうとした先覺者だといふのである。勿論そこにはかなりの限定がつくのだが、この方が彼の志(こころざし)全髄(体)の向ふところから見て、より妥當(当)だといふことは一應(応)いへよう》(河上徹太郎吉田松陰』(文藝春秋)、pp. 117-118)

 松陰は、圧倒的に情報が不足していたのである。だから、彼の構想をあまり過大に評価すべきではないだろう。にもかかわらず、松陰をどうしても「対外侵略のイデオローグ」に仕立てなければ気が済まない人達がいる。

《弟子たちの明治日本は、師の予言をなぞった。北海道開拓、樺太領有、琉球処分、台湾・朝鮮植民地化、満州事変、フィリピン占領。誤った先見性に息をのむ》(伊藤智永『時の在りか』「明治150年 何がめでたい」:2018年1月6日付毎日新聞

 松陰を過大と思えるほど危険視するのは、例えば、松陰を持ち上げる安倍晋三首相のような人達を叩くためであるような気がしないでもない。

《わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ。政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである。確たる信念に裏打ちされているなら、批判はもとより覚悟のうえだ。

「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾ゆかん」―わたしの郷土である長州が生んだ俊才、吉田松陰先生が好んで使った孟子の言葉である。自分なりに熟慮した結果、自分が間違っていないという信念を抱いたら、断固として前進すべし、という意味である》(安倍晋三美しい国へ』(文春新書)、p. 40)

 <わたしがこうありたいと願う国をつくる>。確かに危険な匂いがする。【続】