一燈照隅(池内昭夫の日記)

~天邪鬼(あまのじゃく)の独り言~

池内昭夫の公式ホームページ

アメーバブログ:池内の読書録

■三木清『人生論ノート』論  5/2(1)「100分de名著」の偏見  5/8(2)幸福論を抹殺したカント  5/15(3)哲学書だからこそ難しい  5/22(4)偏見による幸福と成功の誤読  5/29(5)真の幸福と神  6/5(6)虚栄と虚無   6/15(7)神の怒を思へ! NEW

「対外侵略のイデオローグ」に祭り上げられた吉田松陰(1)~歴史的人物を裁く傲慢~

長州藩萩に生まれた吉田松陰は、私塾「松下村塾」を開き、久坂玄瑞高杉晋作といった倒幕の志士を育て、木戸孝允(たかよし)、伊藤博文といった明治の元勲(げんくん)を生んだ「明治維新の精神的指導者」とされる人物である。昨今、その松陰が悪名高き人物として取り上げられることが多くなっている。

《<急いで軍備をなし、隙に乗じてカムチャツカ半島やオホーツクの島々を奪い、琉球にも幕府に参勤させるべきである。朝鮮を攻めて、北は満州の地を割き、南は台湾やフィリピン諸島を手に入れよう。進取の勢いを示すべし>

 幕末にこんな趣旨の文章を残した人がいます。長州(山口)の思想家・吉田松陰です。「幽囚録」(講談社学術文庫)に書かれています。

 軍事力で他国の領土や資源を奪う帝国主義の思想そのものです。実際に朝鮮や台湾は、日本の植民地になりました。中国東北部満州には日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」をつくっています。

 まるで松陰が描いた“戦略図”は、近代日本の戦争の歴史そのものではありませんか。

 カムチャツカ半島はなくとも、樺太の南半分は手に入れ、フィリピンも太平洋戦争のときは日本軍が占領していました。

 確かに江戸末期はアジア諸国が西欧列強に蚕食され、植民地になった時代です。その中で松陰は共存共栄の道ではなく、アジア争奪戦に加わらないと日本が滅んでしまうと考えていたのです》(10月21日付東京新聞社説)

 時代が違う、そのことを差し置いて、松陰を「侵略主義の首領」であるかのように言うのは間違っている。もし今の時代に先の引用にあるようなことを言えばそれは問題であろう。が、食うか食われるかの「弱肉強食」の時代において版図を広げることで生き残ることを構想したとしても、150年後の今を生きる我々が「現代の正義」を振りかざして非難出来るような話ではない。

《死者は、私たちが、彼の持って生れた性格、彼が積み重ねて来た経験、彼が直面している退引(のっぴき)ならぬ状況、彼を包んでいる価値体系などを詳しく、しかし静かに採って行ったら、その時に初めて重い口を開いてくれるのです。そして、漸(ようや)く対話らしいものが生れて来るのです。その際、私たちは、(事実としての歴史)Aに登場する人物にとって未来が闇であったことを忘れてはなりません。

時間がa→b→c→d……という諸点を通って行くとして、Aに登場する人物がa点で活動している時、如何に彼が明敏であったとしても、b、c、d……の諸点については、全く知らなかったのです。何かを漠然と感じていたかも知れませんが、何も知ってはいなかったのです。多くの人間が未来の闇の前に立って試みる孤独な決定、結局、その集積がAということになるのです。

 しかし、Bは、後代に書かれるものでありますから、もし(記述としての歴史)Bを書く人間がd点に立っているとすれば、また、この人間が凡庸であったとしても、彼は、a点だけでなく、b点のことも、c点のことも、d点のことも或る程度まで知っているでしょう。d点という高所から眺めれば、往々にして、a点という低い場所で活動していた人物が愚鈍に見え、また、その活動から生れる不幸な結果を彼が最初から望んでいたようにも見えるでしょう。しかし、そう見ていたのでは、死者は永久に口を開きは致しません》(清水幾太郎『戦後を疑う』(講談社文庫)、p. 15)【続】