保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

有名芸能人の相次ぐ自殺を考える(5) ~アイデンティティの危機~

《「自分が何者であるか」が社会とのつながりにおいて把握され、かつ実感されているものがアイデンティティであり、これが危機にさらされるとき、人はいきいきとした存在感や生の目標をもてなくなる》(宮島喬『デュルケム 自殺論』(有斐閣新書)、p. 96)

 心理学者エリクソンの言った「アイデンティティの危機」(identity crisis)である。が、

《私たちはただ1つの「アイデンティティ=同一性」を生きているわけではない。「アイデンティティ」という言葉を用いるならば、自己のアイデンティティは通常は複数である》(齋藤純一『公共性』(岩波書店)、p. 102)

 我々は通常、家族、地域共同体、職場・学校といった複数の「中間社会」に属し、それぞれの義務や役割を担っている。だとすれば、我々は複数のアイデンティティを有していると言えるわけである。

《何らかの集団に抱かれるアイデンティティがより大きな比重を占めることがあるとしても、それ以外のアイデンティティが失われることはない。自己は、それ自体複数のアイデンティティ、複数の価値の〈間の空間〉(inner-space)であり、その間に抗争があるということは、自己が断片化しているということを意味しない。葛藤があり抗争があるということは、複数の異質な(場合によっては相対立する)アイデンティティや価値が、互いに関係づけられているということを意味する》(同)

 つまり、「アイデンティティの危機」とは「中間社会」との関係が希薄化し孤立無援化するということである。

Loneliness is not solitude. Solitude requires being alone whereas loneliness shows itself most sharply in company with others. —Hannah Arendt, The Origins of Totalitarianism, Chapter 13

(孤独感は孤独ではない。孤独は独りでいることを要求するのに対し、孤独感は他者と一緒にいるとき最も鮮明に姿を現す)

In solitude … I am "by myself," together with my self, and therefore two-in-one, whereas in loneliness I am actually one, deserted by all others. — Ibid

(孤独では…私は「独り」であり、自己と共にあり、したがって一者のなかの二者であるのに対し、孤独感では、私は実際に一人であり、すべての他者に見捨てられている)

All thinking, strictly speaking, is done in solitude and is a dialogue between me and myself; but this dialogue of the two-in-one does not lose contact with the world of my fellow-men because they are represented in the self with whom I lead the dialogue of thought. The problem of solitude is that this two-in-one needs the others in order to become one again: one unchangeable individual whose identity can never be mistaken for that of any other. For the confirmation of my identity I depend entirely upon other people; and it is the great saving grace of companionship for solitary men that it makes them "whole" again, saves them from the dialogue of thought, in which one remains always equivocal, restores the identity which makes them speak with the single voice of one unexchangeable person. — Ibid

(すべての思考が、厳密に言えば、孤独の中でなされ、私と私自身との対話である。が、この一者のなかの二者の対話は、私の同胞たちの世界との連絡を失うことはない。なぜなら彼らは、私が思考の対話を行う自己の中に表されているからである。孤独の問題は、この一者のなかの二者がふたたび一者、すなわちアイデンティティが他のどのそれとも決して見誤られない一者の不変の個人となるために他者が必要であるということである。自分のアイデンティティの確認には全面的に他者に依存する。孤独な人にとって交友が偉大な加護であるのは、それが彼らを再び「全体」にし、常に多義的なままである思考の対話から救い、交換できない一者の単独の声で話させるアイデンティティを回復するからである)

 <交友>がアイデンティティの安定には欠くべからざるものだということである。【続】