保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

古文・漢文オワコン論について(3) ~肝心要は言葉である~

《人間にとっては、徳その他のことについて、毎日談論するという、このことが、まさに最大の善きことなのであって、わたしがそれらについて、問答しながら、自分と他人を吟味しているのを、諸君は聞かれているわけであるが、これに反して、吟味のない生活は、人間の生きる生活ではない》(「ソクラテスの弁明」:『プラトン全集 1』(岩波書店)田中美知太郎訳:38A)

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MC垣花正アナウンサー(49)が「お金のことを学校で学ぶのはまだ早いとか、ちょっと口にするのは汚いっていう感じはありますよね」と話すと、安東アナは「確かに、それは本当に時代遅れで。実際に、政治・経済の基礎を小さい頃から学ばないとね。古文・漢文の割合を減らして、実践的なものは増やしたほうがいいと思います」と持論を展開した》(Sponichi Annex 2/24(水) 21:54 配信)

 が、<投資>を<経済>と称して学校に持ち込むことに私は賛同することができない。

No one can serve two masters; for either he will hate the one and love the other, or else he will be loyal to the one and despise the other. You cannot serve God and mammon. ― Mathew 6:24(New King James Version)

(だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富(マモン)とに兼ね仕えることはできない)(マタイ伝福音書:6:24)

 <マモン>は「悪魔」である。つまり、お金には危険が付いて廻るということである。この「悪魔」を教育の場に安易に持ち込むべきではない。

 さて、教育の目的は、しばしば子供の「社会化」にあると言われる。具体的に言えば、日本に住まう子供たちは、日本人として生活するために最低限必要なことを身に付けることにある。やや高尚に言えば、日本文化の継承者となるにある。

all education proceeds by the participation of the individual in the social consciousness of the race. This process begins unconsciously almost at birth, and is continually shaping the individual's powers, saturating his consciousness, forming his habits, training his ideas, and arousing his feelings and emotions. Through this unconscious education the individual gradually comes to share in the intellectual and moral resources which humanity has succeeded in getting together. He becomes an inheritor of the funded capital of civilization. – John Dewey, My Pedagogic Creed

(すべての教育は、個人が人類の社会意識に参加することによって進行する。この過程は、無意識にほとんど生まれたときから始まり、絶えず個人の力を形作り、意識を飽和させ、習慣を形成し、考えを訓練し、感情や情緒を喚起する。この無意識の教育を通して、個人は人類が集めることが出来た知的・道徳的資源を次第に共有するようになる。文明の長期資本の継承者となるのである)(デューイ「私の教育的信条」)

 継承すべき文化のなかで最も大切なものは「言葉」である。日本語の豊かさは、過去からの積み重ねによって醸成されたものである。当然、古文や漢文も日本語に深い彩(いろど)りを添えている。そのことが分からない人が古文・漢文不要論を唱えているのではないか。

 言葉が貧しければ思考も貧しくならざるを得ない。自分の言いたいことも言葉の貧しさゆえに伝わらなくなるだろう。言葉こそが豊かな生活の要(かなめ)であり肝(きも)なのだ。そのことを忘れるべきではない。【了】