保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

9月入学制移行は短絡的(2) ~春は物事を始めるのに最適の季節~

コロナ禍で少なくとも4月、5月の2か月分の授業の遅れが生じ、これをどのように処理するのかの名案が浮かばず、それどころか、5月末で学校が再開できるのかどうかの見通しもままならない状況であるとすれば、一層のこと「9月入学」にしてしまった方が、欧米などと学年のずれもなくなるし、一挙両得なのではないかという話である。

《全国の学校では児童・生徒の感染を予防するため臨時休校が続いている。政府は自宅で学習できるオンライン授業の普及を促しているが、自治体によって取り組みに差があり、学力の「地域格差」拡大が懸念されている。

 感染終息のタイミングによるが、全国一律に9月入学で仕切り直せば、こうした不安を払拭(ふっしょく)できる可能性がある。欧米や中国では9月入学が主流で、留学生の往来がスムーズになるメリットもある》(JIJI.COM 5/1(金) 7:07配信)

 が、これまでも「9月入学」が検討され実現してこなかったのは、それなりの理由があったということである。

《国や自治体の会計年度、企業の採用スケジュールなど4月スタートを前提にしてきたシステム全体への影響は大きい。新型コロナウイルス感染で社会全体が混乱する中、こうした大規模な制度改正を同時並行で行う余力があるのかについて懸念する声も出ている》(同)

 が、この程度のことであれば、本格的な制度改正は例えば来年にして、今年度は暫定的に「9月入学」を採ることは十分に可能なのではないか。

 が、よく考えなければならないのは、「9月入学」が日本の風土に根付くのかという問題である。日本の年度初めが4月になっているのは、新たな生活を開始するのに最も適した気候であるからではなかろうか。残暑厳しい9月に慣れない生活を始めるのは負担が大きいということである。

 草花も寒い冬を乗り越え春になると緑が芽吹き、花開く。これは自然の摂理である。桜咲く頃に入学式が行われるというのはまさに日本ならではの自然な風物詩である。

都道府県知事らが「9月入学」を提言したのは、大きくふたつの理由がある。

学校の休校に伴い、在宅でのオンライン授業が始まった。だが、文科省の調査では、デジタル教材による家庭学習に取り組んでいる公立の小中高校は全体の29%。教員と児童・生徒が双方向で対話する遠隔教育を実施したのは5%にとどまった。休校が長期化すれば、授業の遅れを取り戻せない懸念が生じている。

今年度、入学・進級した子どもたちの授業時間を確保し、私立、公立の設置形態の違いや、地域による学びの格差を是正するために半年間、卒業や修了を延期することが望ましいという立場だ。

高等教育の国際化を進めるには9月入学が好ましいという声は以前からある。東京大学は2011年に秋入学の導入を検討した。留学生や教員の相互受け入れを拡大し、教育、研究の質を向上させる狙いがあった。4月に新卒者を一括採用する慣行を見直し、大学が学生に何を身につけさせたかを競う改革を期待する企業もある》(4月29日付日本経済新聞社説)

 文章が下手くそで何が<ふたつの理由>かよく分からないが、1つは授業時間を確保しようということ、もう1つは高等教育の国際化を進めるということの2点であろうか。

 が、これにも産經主張が真っ向から反論する。

《9月入学を推す声に多いのは欧米に合わせた国際化だが、留学希望の学生や研究者は以前より少ない。かつて欧米の制度にならい共通1次試験導入などの改革が行われたが、必ずしも成功していないことを忘れるべきではない。

 懸念するのは、これほどの大改革をウイルス禍に紛れて実施する危うさだ。9月入学・始業を決めた後、感染の第2、3波や別の新興感染症が広がり、新たな対応を余儀なくされたら、また4月入学に戻すというのか。

 授業が遅れた分をどうするかは本来、文部科学省を中心に教育関係者が知恵を絞るべきことだ》(5月1日付産經新聞主張)

 要は、技術的にも風土的にも日本には「9月入学」は相当無理があるということだと思われるのであるが、この続きは話がもっと具体化してからということにしたい。【了】