保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「宿題」のない中学校について(4) ~進歩的退歩~

工藤: 日本の子どもたちは「先生、僕、明日から勉強するよ」と言って塾へ行くわけです。これが笑い話ってわかりますか?

大橋未歩: 先生に向かって「塾へ行く」と言うのですものね。

工藤: 学校で勉強しているのに、それと同じことを塾へ行ってやるのかと。でも、現状みんなそう思っているのですよ。(ニッポン放送1/17(金) 11:10配信)

 学校の勉強と塾の勉強の中身が違うということが分かっていないからこのような話になるのであろう。

 塾は一般に入試合格に的を絞って指導する。入試に必要な知識と受験技術を扱う。が、学校の指導は「知育・徳育・体育」教育全般に及ぶ。知育においても、ただ合格答案作成のために知識を提示するわけではない。物事は多面的であり、入試で丸をもらうことだけで事足りるようなものではない。答えのない問題も多々存在する。

工藤: 与えられることに慣れた人間は、与えられる質に不満を言うようになるのですよ。

 学校が出した宿題に文句を言う生徒がいるとすれば、それは「徳育」の失敗とも言えるのではなかろうか。否、生徒が宿題に文句を言うのは世の常であり、だからと言って宿題をなくせばよいと考えるのは短絡と言うべきである。

大橋: 担任の先生にもバラつきがあって格差が出てくるということで、そこも廃止されたのですよね。

工藤: 担任の先生が決まっていると、与えられたものだから必ず不満を言うのですよ。担任の先生を比較することになるので、必ず不幸な先生が出てきます。どんなに優秀な教員を集めたって、あの先生は優秀でこの先生は優秀じゃない、と決まってきます。

人は、誰かからあてがわれたものに不満を言うようにできているのですよ。特に日本はいろいろなことが与えられ続けて育っているので、不満を言うのが大好きなのですよね。何かに不満を言って、勝手に不幸になっていく。勝手に理想を抱いて不幸になっていくのが、いまの子ども、大人の世界ですよね。(同)

 担任が決まっていなくてどのように運営するのか、そしてそのような体制でうまくいっているのか是非知りたいものだが、1つ大きな問題は、教育は結果が出るのに時間が掛かるということである。子供たちが大人になって社会で活躍できているのかどうかを見極めるとなると少なくとも20年、30年の年月が必要である。が、20年経ってあれは失敗でしたと言っても取り返しはつかない。

《我々は、大きな変革が行われているのでない限り、何も重大な事は生じていないのだと考えがちであり、また、進歩の過程にないものは後退しているに相違ないと考えがちである。我々は、まだ試みられたことのないものを良いものと思い込んでいる。我々は、変化とはすべて何かしら良い方向へのものだ、と信じてしまいやすいし、我々が変革を行ったために生じた帰結はすべて、それ自体が進歩となっているか、あるいは少なくとも我々の望んだものを手に入れるために支払わねばならないだけの適切な代価なのだ、とあっさり納得してしまう》(マイケル・オークショット「保守的であるということ」:『政治における合理主義』(勁草書房)、p. 206)【了】