保守論客の独り言

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「宿題」のない中学校について(1) ~「宿題が何の役にも立たない」?~

2014年から千代田区麹町中学校の校長を務める工藤勇一氏。宿題、定期テスト、固定担任制の廃止など、異例の改革を次々と行う手腕には多くのメディアが注目し、麴町中学には文部科学省など全国の教育関係者が視察に訪れる。その大胆な改革の根底にある子育て論についてまとめた『麴町中学校の型破り校長 非常識な教え』(SB新書)を著した工藤校長に、フリーアナウンサー大橋未歩がインタビュー》(ニッポン放送1/17() 11:10配信)

 このおかしな<改革>の話を聞いてみよう。

工藤: 宿題は、極端に言えば何の役にも立たないのですよ。昔、学校が始まった当時に宿題はあったのでしょうか。私が子どものころは、ほとんど宿題は出ていなかったです。皆さんの時代だとありますよね。でも、宿題がなかったら、自分で必要なものを勉強しますよね。(同)

 「宿題が何の役にも立たない」などという話は<極端>と言うよりも「誤り」である。こんな嘘っぱちを平気で口に出来る人間が学校長に就いていること自体が異常であり、まして評価されるとなると「世も末」の感がある。

 宿題の効用など今更言うまでもないが、私が最も重要だと思っているのは、「家庭学習の習慣形成」である。中学生はまだ学習習慣形成の途上にある。したがって、宿題がなければ家庭学習を行う日と行わない日が出てしまう。

 英語に”Practice makes perfect.”という諺があるが、その意味するところは「練習しなければ身に付かない」ということである。教えてもらって分かったつもりでいても、自分でやってみなければ本当に分かったことにはならない。

 そんなことよりも大事なことは、「当たり前のことを当たり前にやる」ということである。宿題をやることは当たり前であって、いちいちこの宿題をなぜやらなければならないのかを考えていては前に進めない。

 勿論、時として「なぜ」を考えることも重要である。が、一般に、哲学者になろうというのでもなければ、それは推進力を失わない程度にしておくべきである。

 話を戻そう。工藤校長は<宿題がなかったら、自分で必要なものを勉強しますよね>と言う。現実的には有り得ない話である。そういう生徒もいなくはないだろうが、多くは勉強の不足を塾の学習や宿題に宛てるだけだろう。

工藤: 自分の大事な時間が奪われるじゃないですか。

 何が大事か大事でないかが分からない生徒にこのようなことを言っても意味がない。自由時間がすべて宿題に費やされるというのも考えものであるが、最低限の必要不可欠な宿題はやって、残りの時間を自由に使うということの方が間違いがないのではなかろうか。【続】