保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「宿題」のない中学校について(2) ~宿題がなければ勉強しないのが現実~

Excellence is an art won by training and habituation: we do not act rightly because we have virtue or excellence, but we rather have these because we have acted rightly; “these virtues are formed in man by his doing the actions”; we are what we repeatedly do. Excellence, then, is not an act but a habit: “the good of man is a working of the soul in the way of excellence in a complete life; … for as it is not one swallow or one fine day that makes a spring, so it is not one day or a short time that makes a man blessed and happy.” ― Will Durant, The Story of Philosophy

(優秀さは訓練と習慣化によって獲得された技術である。徳や優秀さがあるから正しく行動するのではなく、むしろ正しく行動してきたから徳や優秀さがあるのである。「これらの美徳は、人が行動することで自らに形成される」。我々は繰り返し行う存在である。優秀さはひいては行為ではなく習慣である。「人の善は、完全な生における優秀さとしての魂の働きである。…というのは、春を作るのは1羽のツバメでも晴れの1日でもないように、人を幸福にするのは1日でも短時間でもないからである」)

 小中学校時代、毎日宿題をやることで学習が習慣化できれば将来の自学自習に生きてくるに違いない。

工藤: フィンランドは世界最高水準の学力だと言われますよね。フィンランドの教育改革で最初にやったことは、宿題をなくしたことなのですよ。宿題を出されたら、宿題をこなすことが目的になるでしょう。(ニッポン放送1/17(金) 11:10配信)

 フィンランドが世界最高水準の学力であるなら、どうして世界最高水準の国にならないのだろうか。例えば、フィンランドノーベル賞受賞者数4名で世界ベスト10にも遠く及ばない。

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 2018年国内総生産GDP)も世界44位でしかない。フィンランドのように宿題をなくすことが教育水準を上げるかのように言うのは詐欺である。

工藤: (宿題をだされたら)自分に必要じゃないものだとしてもやりますよね。特に一般的な子どもたちは宿題を出すことが目的になるから、わかることをやって、わからないことは飛ばします。勉強は、わからないものがわかるようになれば、学力が向上します。(同)

 <学力>が何を意味するのかが不明であるが、分かったつもりであっても実際には分かっていなかったということもあるし、実際に分かったことでも、それを定着させるには繰り返し練習する必要もある。分からないことを分かるようにするのが勉強であるかのように言うのは勉強というものがどういうものなのかよく見えていないからであろう。

 また、一般的な子供たちは、宿題がなければ分かることを反復練習することもないだろうし、分からないことに取り組むはずもない。宿題でもないのに自ら進んで勉強するなどということが現実的に有り得るはずがない。【続】