保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「宿題」のない中学校について(3) ~フィンランド教育への幻想~

工藤: まったく宿題を出されない場合、子どもたちがどのような行動パターンを取るかというと、自分に必要だと思うから勉強しますよね。それも、自分のやりたいことをやります。学校の勉強をやりたいと思うのか、絵の勉強をしたいと思うのか、好きな科学の本を読みたいと思うのか。(ニッポン放送1/17(金) 11:10配信)

 <まったく宿題を出されない場合>、常識的には、ほとんどの子供はまったく家庭学習を行わないだろうと思うのだが、麹町中学校の生徒だけは違うのだろうか。

工藤: フィンランドの子どもたちは、自分の興味のあることを勉強していると思うのですよ。自分の好きなものが科学だとすれば、科学の本を読み漁って、わからなければ誰かに聞く。それは友達かもしれないし、学校の先生かもしれないし、インターネットかもしれない。自分の興味のあることに何らかのアクションが必要だと思って、子どもが育っていきますよね。さらに、わからなかったらどういう行動を取ろうか、と考える子どもができます。これはとても効率的でしょう?(同)

 フィンランドは宿題を出さないのに学力が世界最高水準であるのは子供が自ら進んで勉強しているからだろうというのは間違った「思い込み」である。フィンランドにも宿題があるという報告がネット上に散見される(例えば、平岡慎也「『フィンランドには宿題もテストもない』はウソ!?フィンランド教育はなぜ間違って伝わるのか【世界を旅しながらその土地の学校に飛び込んでみた】」)。

工藤: フィンランドの子どもは成長していくと、勉強したいことを自分で探し当て、それがわからなければ解決手段も自分で選び、学力を伸ばしていきます。学校のカリキュラムをベースに学んでいるというよりは、自分の興味・関心を中心として、それがいろいろなものに派生していくわけです。

日本のように無駄かもしれないことをこなすことが目的になっていった子どもたちは、問題解決ができるでしょうか。ずっと「あなたはこれがわからないから、これをやりなさい」と言い続けられるわけです。日本の子どもたちは「先生、僕、明日から勉強するよ」と言って塾へ行くわけです。これが笑い話ってわかりますか?

 フィンランドを必要以上に理想化して日本の教育を批判するのはやめた方が良い。良かれ悪しかれ今の日本は一定の教育成果でもある。例えば、詰め込み教育にも功と罪がある。負の面だけを取り上げて詰め込み教育を批判するのは公平性に欠ける。

 私は今の日本に十分合格点を付けることが出来ると思うが、だとすれば、戦後の日本の教育にも合格点を付けてよいのではないか。【続】