保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「他人が握ったおにぎり」を食べられない問題について(1) ~他所の家の料理を食べる経験がない~

昨年、横浜市立大学医学部医学科の入試に次のような小論文の問題が出された。

【問題】あなたは高校の教師である。ある日、授業の一環として稲刈りの体験作業があり、僻地の農家に田植えの体験授業に生徒を連れて出かけた。稲刈りの体験作業の後、農家のおばあさんがクラスの生徒全員におにぎりを握ってくれた。しかし、多くの生徒は他人の握ったおにぎりは食べられないと、たくさん残してしまった。

[1]あなたは、おにぎりを食べられない生徒に対しどのように指導しますか。

[2]あなたはこの事実をおばあさんにどのように話しますか。

 最近、見ず知らずの他人が握った<おにぎり>が食べられない人が増えている。それを踏まえての出題である。

《ベネッセ教育情報サイト(2018)によれば、小学生の子どもを持つ保護者を対象にしたアンケートで、「お子さまは、どのおにぎりなら食べられますか?」(複数回答)という質問に対し、お母さんが握ったもの(856)、友人・知人が握ったもの(458)という結果が出たそうだ。

この数字からすると、54.2%の子どもが「他人(知人・友人)が握ったおにぎりを食べられない」と感じていることになる》(小林公夫「医学部入試で出た『他人のおにぎり問題』あなたはどう答えますか?」:現代ビジネス11/24() 8:01配信)

 おそらく知らない人が握った<おにぎり>を食べて体調を崩した実体験があるから拒絶しているというわけでもなく、ただ「潔癖症」の子供が増えたということなのだと思われる。小林氏は言う。

《一つ言えることは、他人が手で触れた食べ物に対する違和感、拒絶感があるのだと考えられる。人と人の交流が稀薄になったこと、さらには地域でのイベントや祭りの減少などにも原因がありそうだ。住宅の数は増加しても、家と家との距離が開き、人と人、心と心の距離も広がりつつあるのではないか。日本独特の和の精神や、村社会の概念も崩壊しつつあるのだろうか》(同)

 他人の<おにぎり>が食べられないことから<村社会>の崩壊にまで歩を進めるのは論理の飛躍があり過ぎるようにも思われるが、社会の都会化が進むにつれて「地域共同体」が希薄化していることもまた事実ではあるだろう。

 当然、他所(よそ)の家の料理を食べるという経験も減っているのだろう。そういう背景が「他人の<おにぎり>が食べられない」ということにつながっているのではなかろうか。【続】